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長編コラム『些末な政府の集団的自衛権議論が触れないこと』シリーズ全篇の紹介:概論と各論

概論


第二次安倍晋三内閣は、これまでの政府解釈で日本国憲法第九条により禁止されていると解釈されてきた集団的自衛権を容認するのが合憲であるという新解釈を、国会閉会後の7月初旬(4日)までに閣議決定する予定だという。



これは事実上の解釈改憲で、これにより我が国は、同盟国の自衛のための戦争に巻き込まれる蓋然性が高まる。また国連の集団安全保障措置においても、法手続的には合法であっても、我が国の憲法上疑義の残る国際紛争に荷担することになりかねない。

閣議決定が行われるそのぎりぎりまで、与党内の協議が続けられるが、自民党側が譲らない「権利容認」について「限定容認」で妥協した公明党が、最後まで抵抗し続けるとは考えにくい。

もし公明党が土壇場で協議を決裂させるようなことがあれば、はじめて公明党が「ストッパー」としての役割を満足に果たしたことになるだろう。

だが、希望的観測は禁物である。

歴代政府がこれまで固持してきた憲法解釈は、同盟国が関わってきた数々の戦争から我が国が参戦することを防いできた。

みえないばくだんさんのツイートより


湾岸戦争では我が国は原則を守って参戦を拒否し、経済支援のみを行った。ところが、このことに対する国際的批判の高まりと評価の低迷を危惧し、歴代政府は徐々に、国是をねじ曲げ、本来憲法上許されない国際紛争解決のための自衛隊の海外派遣を実施してきた。

PKO協力法の制定に始まり、防衛省の格上げ、イラク戦争、アフガン戦争、ソマリア海賊対処など、国際紛争に限らず、我が国は国際的な軍事活動への参画姿勢を強めていった。


我が国が国際社会の責任ある一員として、国連や地域的な国際平和・治安維持活動に参画するのは歓迎すべきことであるし、積極的に推進すべきことだと思う。

だが、それには我が国独自の原則が常に適用され、我が国はこの原則を逸脱しないという姿勢を国内外に示す必要がある。しかし、これまでの我が国の足跡は、我が国がいかにして原則を形骸化させてきたことを物語っている。

時代の要請とともに、国は変容する。しかし、憲政の成立来以、国民の精神の礎となった精神は、時の政府の選択によって変遷してはならない。


現在の時の政府は、国民不在の中、国会の監視も機能しない中で、一部の権力者たちの会合で、これを行おうとしている。

しかも、表面的な、些末な議論しか行わずに。

以下の十編のコラムは、そうした些末な議論の内容を一つ一つ取り上げ、その問題点、錯誤、国際社会における現代論的解釈などを交え、時の権力が行おうとしている暴挙に光を当てようとするものである。

各論


  1. 「丸腰の集団的自衛権行使」の可能性
  2. 文民を保護する国際責任と「支え合う安全保障」という第三の選択肢
  3. 「ユニット・セルフ・ディフェンス」の実態Ⅰ(概要編)
  4. 「ユニット・セルフ・ディフェンス」の実態Ⅱ(詳細編)
  5. 政府の主張する「共同部隊防護」の幻想
  6. 感情に訴える「邦人救出」論の虚構
  7. 国連憲章上の由来と国連システム下のリスク
  8. 機雷除去行為と容認要件との整合性
  9. 国連集団安保参加に集団的自衛権は必要ない
  10. 解釈改憲の問題の本質
  11. 集団的自衛権と集団安全保障の違いとその悪用の歴史
  12. 「自衛戦争」はどこから「侵略戦争」になるのか
  13. 解釈改憲以上に危険なその「中身」
  14. FINAL(意見総括)