GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

医療:日本の救急医療のあるべき姿

「断らない病院」の自発的改善が示す救急医療のあるべき姿

京都に、これまで一度しか救急患者を断ったことがない「断らない病院」があるという。患者を断らないことを方針として、松村理司院長を筆頭に病院全体で救急対応を支える体制を確立しているらしい。今朝のNHKニュースでの話だった。(過去にも取り上げられたことがあるらしい

病院の名は京都の洛和会音羽病院。まだ全国規模では数が少ないとされる「総合診療医師」を抱える総合診療科を持つ数少ない(※)総合病院だ。総合診療医は、呼吸器系の診療を総合的に行える技量を持つらしく、緊急時に救急医が足りなくても、初動の段階でその機能を一部補うことで病院の救急体制を支え、「断らない病院」実現の要となっている。また、日々この総合医療医に対する勉強会など研修を行い、救急医療技術の浸透を図ることで、従来の総合診療医よりもさらに救急対応のノウハウを詰め込んだ新しい専門医の開発に取り組んでいる。

都道府県で「総合診療科」を持つと認定されている病院の数(関東の場合)
日本総合診療医学会HP調べ) 集計 by GivingTree
都道府県茨城栃木群馬埼玉千葉東京神奈川
病院の数6335182522

都内や関東各地域を中心に問題になったいわば「断る病院」の関係者等に爪の垢でも煎じて飲んでもらいたくなるような話である。むろん、自治体から助成金が豊富に得られるだとか、財政上のサポートの問題とか、救急対応者へのインセンティブ支援の不在など、番組の専門家が指摘した諸処の問題があることは事実なのだろう。それでも、京都の洛和会音羽病院は、まず「断らない」ことを病院のポリシーとして掲げ、それを厳守するためにはどのような体制が必要か、という発想から、病院一丸となってそうした体制作りを実現するための具体的な努力を行ってきている。つまり、助成金だのサポート体制だの、他力本願が出発点ではなく、明確な目標を定め、その過程で何が必要かを問うという、「目標ありき」のアプローチで臨んでいることに見習うべき点があるのではないか。

明確な目標・理念のあるところから、優れた発想と政策が生まれ、その実践によりその発想はより優れたものへと進化する。これを「組織努力」というのではないか。とかく日本の医療は、国家や自治体の支援体制の不備を理由にして自らの怠慢を覆い隠そうとする傾向があるが、こうした例外的な実例が一つでもあるだけで、それらの主張は虚構であり責任逃れでしかないことがわかる。

強固な意志があり、それを実行する為に伴う責任を負う覚悟、そしてその責任を裏支えするスタッフの理解と熱意があれば、京都の病院のような体制は実現・維持可能なのである。それを支援体制の不備のせいにする姿勢は、責任逃れの謗りを免れず、また問題はむしろ、とかく体制不備の責任にしてしまう、そうした病院側の体質にあるのだろう。

彼らは、自らメスを入れる場所を間違えている。
深刻な「ミス」が生じるのは当然の帰結である。

苦言
「例外を例外とせずベストプラクティスとして模倣せよ」

(通勤電車の中で書いたので乱文ご容赦)

※追記 表・リンクなどは後で追加しました。