GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

言霊:「分相応」な欲

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国家としての「分相応」とは
大事なのは分相応ということ。

望みを叶えようと汗を流すことも大切だが
手の届かぬものを他人と争ってまで
欲する事が幸せかどうか・・・・。
“屍ヶ淵のホッカケオンジ”と呼ばれる
ピノサウルスの言葉

講談社モーニングKCDX
所十三・作「ディノ・ディノ」第3巻
Vol.13『分相応』より



この言葉は、自らの種としての特性(弱点)に抗いながら、敢えて巨大魚を捕らえるという限界に挑戦しようとする若い漁竜(スコミムス)を諭すために、大魚捕りの達人のスピノサウルスのホッカケオンジ(御爺)が発した言葉である。しかしオンジは、それでも自分の限界に挑戦すると食い下がる若い漁竜の言い分を聞き入れ、こう言い放つ。

限界に挑戦せねば、己の身の丈は計りおおせぬ・・・・か・・・・それも道理。

アナロジー的に物事を考えがちな俺は、読んでるそばからこの若い恐竜と、ベテランの恐竜の関係を国家間の関係になぞらえてしまっていた。その中で様々な考えが交錯したのだが、仕事の整理作業などに追われ、一部その瞬間に感じていたことを忘れてしまった。だが、これだけは憶えている。日本とアメリカ、そして欧州の関係になぞらえて考えていたことを。

アメリカは建国200年で若い国と言われるが、日本の民主制も大正に一度崩壊しているため、戦後から数えて63年の歴史しかない。日本の民主制の起源については議論もあろうが、両国の民主主義国家としての歴史が浅いことに異論はないだろう。つまり、俺の頭の中では日米の二カ国が「若い恐竜」。歴史の古い欧州を「ベテラン恐竜」になぞらえて考えていたことになる。

なぜ「若い恐竜」たちは、身の丈に合わない挑戦に臨もうとするのか。それを「ベテラン恐竜」は諭し続けるのだが、「若い恐竜」の一匹があまりにも力を持ちすぎ、かつ持てあましすぎ、古いやり方を通してきた「ベテラン恐竜」の諫めに耳をかさないため、半ば諦めている。そして、オンジと同じ台詞を吐いて、“身の丈を計ってみるがよかろう”と「若い恐竜」たちをまるで駆り立てるように、戦いの場へと送り出す。

むろん、現実には“送り出している”わけではなく、「若い恐竜」が勝手に戦に乗り出しているところを諫めずに“傍観している”といったほうが正しいのかもしれない。さらに「ベテラン恐竜」の中にも、「若い恐竜」と一緒になって覇権拡大の野心を燃やすものもいる。


(頭の整理がつかなくなったので書きかけのまま)