言霊:官僚たちの誇りと驕り
彼ら官僚には彼らなりの誇りがある。それは十分に理解できる。
彼らが、日本の今日の安定した繁栄を築き上げた立役者の
一部であることに異論を唱える人は、殆どいないだろう。
作中の成瀬官房副長官は、言霊の言葉を吐く前にこう言う。
政治家は選挙で落選すればそれまでだ。
彼らに重大な案件の責任など負えるはずがない。
だが我々は違う。
彼らは、この成瀬官房副長官が言うように、国会議員とは異なる
ライフスパンを持つ存在だ。だが、それはわかりきっていることだ。
議会制民主主義とはそういうシステムなのだ。それは何故かといえば
「時の権力」に権力を与えすぎないための保護措置だからだ。
しかしここに重大な錯誤が生じた。
国会議員は選挙により選ばれ、限られた任期を持つ。
それは権力の腐敗を予防するための保護措置に過ぎない。
それでも、国会議員の腐敗は実在し司法により裁かれてきた。
「時の権力」ではなく「恒久の権力」を維持してきたのは、官僚だ。
つまり日本の議会制民主主義における「権力の腐敗」の抑制は、
議会のみに向けられてきた。憲法の定めにより在職中は刑事訴追
を免れるが、失職すれば司法の裁きの対象となる。
だが作中の成瀬官房副長官が言うように、官僚は違う。
官僚には決まった任期がなく、天下りなどにより永久就職など
一般の人間が享受し得ないような完全なる保障権を保持する、
まさに「恒久の権力者」だ。権力者には相応の責任が付随する。
皮肉にも、成瀬官房副長官の自信に満ちた言葉には、こう返せる。
そう、時の権力ではなく、恒久の権力である貴方がたには
たしかに、時の権力には負えない重大な責任がある。
だが貴方がたは、その重大な責任を負った試しがない、と。
自ら「時の権力」を否定し、「恒久の権力」たる責任を持つと、自負するのであれば、その責任を果たす覚悟が必要である。
それは、天下りなどの権力維持システムによって国家運営に
未来永劫的に関わり続けるという覚悟ではなく、何かがあった
ときに、衆人環視のもと職を辞する覚悟を持つことである。
「恒久の権力」たるもの、その覚悟なしには正当な権力たり得ない。
憲法によって保護された政治家を揶揄する資格など、政治家以上に
二重に三重に守られている官僚たちにはない。
二重に三重に守られている官僚たちにはない。
それは官僚たちの驕りである。
(了)