GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

言霊:官僚たちの誇りと驕り


「責任は我らに」という驕り

官僚の諸先輩方が
営々と築いてきた
日本国の威信は
我々の手で
守らねばならない。

成瀬内閣官房副長官

作・真刈信二 、画・赤名修
講談社イブニングKCデラックス
『勇午フィリピンODA編』 第2巻より



彼ら官僚には彼らなりの誇りがある。それは十分に理解できる。
彼らが、日本の今日の安定した繁栄を築き上げた立役者の
一部であることに異論を唱える人は、殆どいないだろう。

作中の成瀬官房副長官は、言霊の言葉を吐く前にこう言う。

政治家は選挙で落選すればそれまでだ。
彼らに重大な案件の責任など負えるはずがない。
だが我々は違う。

彼らは、この成瀬官房副長官が言うように、国会議員とは異なる
ライフスパンを持つ存在だ。だが、それはわかりきっていることだ。
議会制民主主義とはそういうシステムなのだ。それは何故かといえば
「時の権力」に権力を与えすぎないための保護措置だからだ。

しかしここに重大な錯誤が生じた。

国会議員は選挙により選ばれ、限られた任期を持つ。
それは権力の腐敗を予防するための保護措置に過ぎない。
それでも、国会議員の腐敗は実在し司法により裁かれてきた。
「時の権力」ではなく「恒久の権力」を維持してきたのは、官僚だ。

つまり日本の議会制民主主義における「権力の腐敗」の抑制は、
議会のみに向けられてきた。憲法の定めにより在職中は刑事訴追
を免れるが、失職すれば司法の裁きの対象となる。

だが作中の成瀬官房副長官が言うように、官僚は違う。

官僚には決まった任期がなく、天下りなどにより永久就職など
一般の人間が享受し得ないような完全なる保障権を保持する、
まさに「恒久の権力者」だ。権力者には相応の責任が付随する。

皮肉にも、成瀬官房副長官の自信に満ちた言葉には、こう返せる。

そう、時の権力ではなく、恒久の権力である貴方がたには
たしかに、時の権力には負えない重大な責任がある。
だが貴方がたは、その重大な責任を負った試しがない、と。
自ら「時の権力」を否定し、「恒久の権力」たる責任を持つと、
自負するのであれば、その責任を果たす覚悟が必要である。
それは、天下りなどの権力維持システムによって国家運営に
未来永劫的に関わり続けるという覚悟ではなく、何かがあった
ときに、衆人環視のもと職を辞する覚悟を持つことである。

「恒久の権力」たるもの、その覚悟なしには正当な権力たり得ない。
憲法によって保護された政治家を揶揄する資格など、政治家以上に
二重に三重に守られている官僚たちにはない。

それは官僚たちの驕りである。

(了)