言霊:理性の愛、感情の愛
理性を越えない感情
私も理性では、おまえを愛そうと努力した。 だが、感情がそれを許さなかった。 |
今まで、違和感を感じずに聞き流していた台詞だった。
勝手にそう頭の中で翻訳していたようだ。
だが違う。何か、違和感がある。
だが違う。何か、違和感がある。
そもそも愛とは、“理性”で制御されうるものなのか。
愛とは感情が司るものではなかったのか。
愛とは感情が司るものではなかったのか。
逆ならわかる。
理性によって感情が抑制されるという図式。
感情という“動”を理性という“静”が制することで
人々の文化的な生活、社会は成り立っているのではないのか。
人々の文化的な生活、社会は成り立っているのではないのか。
ときに“静”である理性を感情が上回ること
これを「感情が許さない」と形容するのだろうと思う。
これを「感情が許さない」と形容するのだろうと思う。
しかし大介の言葉では、この主従関係が逆転している。
それほどに、大介は父としての尊厳を祖父に奪われ
まさに感情に凌駕される形で本来役割の違う理性に
「愛する」感情を求めるしかなかったのか・・・。
まさに感情に凌駕される形で本来役割の違う理性に
「愛する」感情を求めるしかなかったのか・・・。
理性で愛そうと努力して、感情がそれを許さない。
俺には、その逆しか、現実にあるものとしては想像できない。
おそらく、「自由に愛する自由」を奪われた人が持つ苦悩なのだろう。
前時代的なものとしか、俺には理解できない。
前時代的なものとしか、俺には理解できない。