GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

言霊:理性の愛、感情の愛

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理性を越えない感情
私も理性では、おまえを愛そうと努力した。
だが、感情がそれを許さなかった。
父・万俵大介から実の息子・鉄平への言葉、とそのシーン(写真)

TBSドラマ『華麗なる一族』最終話より (全会話



今まで、違和感を感じずに聞き流していた台詞だった。

「努力した。だが、できなかった」

勝手にそう頭の中で翻訳していたようだ。
だが違う。何か、違和感がある。

そもそも愛とは、“理性”で制御されうるものなのか。
愛とは感情が司るものではなかったのか。

逆ならわかる。

理性によって感情が抑制されるという図式。

感情という“動”を理性という“静”が制することで
人々の文化的な生活、社会は成り立っているのではないのか。

ときに“静”である理性を感情が上回ること
これを「感情が許さない」と形容するのだろうと思う。

しかし大介の言葉では、この主従関係が逆転している。

「理性では愛そうとした。だが、感情がそれを許さなかった」

それほどに、大介は父としての尊厳を祖父に奪われ
まさに感情に凌駕される形で本来役割の違う理性に
「愛する」感情を求めるしかなかったのか・・・。

理性で愛そうと努力して、感情がそれを許さない。

俺には、その逆しか、現実にあるものとしては想像できない。

おそらく、「自由に愛する自由」を奪われた人が持つ苦悩なのだろう。
前時代的なものとしか、俺には理解できない。