GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

思考メモ:北風と太陽の謎

優位に立ちたい場合、「安易に行使できる力」「容易ならざる力」があったら、人は間違いなく「安易に行使できる力」を選ぶだろう。だが人が忘れがちなのは、「安易な力」ほど、それを行使するには慎重さと賢明さが必要とされることである。これらの要件を言い換えて、《理性》とくくるとする。

では、「容易ならざる力」は、それ自体が”安易ではない“のだから《理性》を必要しないのかといえば、そうではない。寧ろ、《理性》の上にさらに受容の精神と忍耐、言い換えれば《寛容》が求められ、ハードルは更に上がる。故に、「容易ならざる力」となる。

では、「安易な力」は“行使しづらい”力なのか。否、そうではない。「安易な力」は、行使し易くそれ故に《理性》による”抑制“をデフォルトで求められる類の力。すなわち暴力として認識され易いものである。

翻って「容易ならざる力」とは、《理性》と《寛容》を求められ暴力とは認識されにくいものを指す。この力の行使には、抑制ではなく“資質”としてデフォルトで《理性》と《寛容》が求められる。すなわち愛の力である。

使い古された例えでデフォルメすると、安易な力は北風であり、容易ならざる力は太陽である。いずれも力ではあるが、その本質が異なるため、その要件もそれぞれ異なる。そして人は、北風を選びがちなのである。これは何故だろうか。

ここで前述のそれぞれの定義に立ち返ると、北風太陽の相違点はその数と求められる型・タイプの違いであると分かる。北風はその抑制として2つの要件の混合である理性を必要とし、太陽はその資質として4つの要件の大別である理性と寛容を必要とする。簡単にいえば、太陽はややこしく北風は比較的単純である。

これで少し解明に近づいただろうか。
つづく (?)