言霊:プロの流儀に学ぶ
妥協に抗う
描けないものは努力して描かなきゃダメだから 自分が描けるものに引きずりこんじゃダメですよ |
背景の鳥のラフスケッチを痛烈に批判する宮崎駿監督
違う「かく」だが、この言葉は「書く」ことのスランプに陥ってる自分にとって、また背中を押してくれる言霊となって響いた。
どうしても自分の言葉で「書く」ことができないとき、自分の流儀に反して、読み手のことを考えて言葉を組み立ててしまう。しかし後になってそれを読んでみると、自分の言葉ではないという違和感がつきまとう。
そうなのだ。
自らの流儀を捨て、妥協に抗うことをやめたとき、自分から発した筈のものは、自分のものではなくなっているのだ。その喪失感は、自分にとって本当に耐え難い。自らを切り刻むようなもの。
妥協の誘惑に対して抗うことをやめることは、いってみれば「自分らしさの死」を意味する。
プロの物書きではなくとも、物を書き続けてきたことへの自負がある。プロの流儀に学ぶことは、プロでなくともできる。