GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

映画:ハゲタカ(2009年)

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ハゲタカ - 日本語作品二本目。中国政府系ファンドによる日本の基幹企業のバイアウトを阻止する物語だが、かつてのアメリカと日本の立場が変わっただけだということを理解している日本人はどれだけいるのだろうか。

「世界の工場」扱いされて黙っている中国人ではない。国家百年の大計をもって日本がいまの発展を遂げたのなのならば、それは追いつく新興国も同じこと。今後、中国だけでなく南米ではブラジル、アフリカではエジプトが台頭してくると思われる。みな生存と繁栄を賭けているのである。

しかし両大陸において日本は有効な投資を行わず、そのための土台も築いてきていない。財閥系は政情不安からすぐに退いてしまった。まさに国家との大計(ビジョン)という後ろ盾がないからだ。計ないものは計あるものに呑まれる。そこをいくら外科的に対応しても、付け焼き刃にしかならず根本的な問題は解決しない。つねにTOBに対する防戦に晒されることなるだろう。

攻撃は最大の防御なり。ならばどう攻撃できるか、その環境を中長期的視野で整備するのが日本の生き残る道だろう。そこには勿論、政府の関わりが必須だが、なにより企業のハングリーさが必要だ。そのハングリーさのない企業は、喰われる。当然の帰結だろう。強者にその身を敢えて晒す弱者を守る余力はいまの政府にはない。

「自己責任」などという陳腐な言葉は使いたくないが、それが自由主義経済の基本原則だろう。アカウンタビリティー(責任能力)のない企業を守る義務は国家にはない。ただし、重要な雇用の受け皿でもある中小零細企業は国家が守り育てる必要があるのはいうまでもない。

国民の生命と財産を守るというプリンシプル(原則)を守り抜く強さを持つ国家が、いまの時代を生き残れるのだ。問題は21世紀の現代においては、その守る手段が変わってきていることに気付かない人間が多すぎることだ。旧態依然とした、旧世紀の考え方では21世紀は乗り切れない。この国の今と未来を本当に考えるというのは、そういうことだ。
2009/11/3の公開日誌より抜粋