GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

映画:ブラックホーク・ダウン(2001年)

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しのごの言ってられない。
これは戦争なのだから。
―そう思わずにはいられない作品。

だが、正義は“仕掛けられた側”にある。

過酷で凄惨な現場で、命がけで、
互いを救い合う姿は美しい。
しかし兵士でない人間には一生
その実際を理解することはできない。

理解したつもりなっても、
それは錯覚でしかない。
当事者でない限り、
そこに“正論”はない。

はからずしも、“仕掛けられた側”の正義を
アイディード派の兵士が一言でいってのけた。

ソマリアでは殺しが交渉だ
これがこの国の流儀だ

In Somalia, killing is negotiation.
This is how things are in our world.

戦争にはそれぞれの正義がある。
だが正しい戦争など、ありはしない。

この映画を観て戦争や戦闘に憧れる人間は、イカれている。

己の信ずる正義のために戦い抜くことを
勇敢であるとか、素晴らしいとか、
「俺も戦ってみたい(殺し合いたい)」
と考える人間は、何かが欠けている。

作品の中で、自ら救出を志願したデルタフォースの隊員が
傷ついたレンジャー部隊の軍曹に「戻るのか」と聞かれて、
「仲間が残ってる」と答え、こう言うシーンがある。

故郷に帰ると―
皆が俺に聞く
“フート なぜ戦うんだ?”
“どうして?”
“戦争中毒なのか?”

俺は何も答えない
連中には わからないからさ

なぜ俺たちが戦うか
俺たちは仲間のために戦うんだ
そうとも
それだけさ

When I go home
people ask me,
"Hey Hoot, why do you do it, man? 
Why? 
You're some kinda 'war junky'?"

I don't say a god damn word. Why?

They won't understand.
They won't understand why we do it.
They won't understand it's about the man next to you.
That's it.
That's all it is.

死を賭してかばい合う程の
一蓮托生の「仲間」のいない
現代人の俺たちに理解できる筈もない。

また人に向けて一発も銃を撃ったことがなく
戦場に降り立ったことのない自衛官にも
彼ら兵士の気持ちが理解できる筈がない。

俺たちには、せいぜい想像しかできない。
その精一杯の想像を補完してくれるのが、
こういう実話に基づいたこうした作品だ。
だがそれでしかない。

それが関の山なのが、俺たち一般人だ。

サバイバル・ゲームをいくらやり込もうと、
武器や軍事的知識がいくら詳しかろうと、
実際に戦場に出ない人間は全てが傍観者
すべての発言権を失う。

彼らを否定することも肯定することもできない。
彼らには、目の前にあることが現実なのだから。
このことも、作中で同じ兵士の一言が物語っていた。

出撃前、前出の新任の軍曹に「俺たちは場違いと?」
と聞かれたデルタの隊員フートはこう答える。

俺の考えなど―
どうでもいいさ

弾が頭をかすめた瞬間―
政治や くだらん話は
吹っ飛んじまうさ

You know what I think?
Don't even matter about what I think.

Once that first bullet goes past your head,
politics and all that shit
just goes right out of the window

この現実をこうしてゲームにするなど、
まさに正気の沙汰としか思えない。


ブームが過ぎ去ってから観てよかった。
おかげで、いまのソマリアの現状と重ねることができた。