GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

Twitlog:読書メモ 『日本を棄てた日本人』(草思社)を読んで〔後編〕3

石戸谷滋著('91) 『日本を棄てた日本人』             [カリフォルニアの新一世](草思社)を読んで 〔後編〕第三部

次は脱サラしてアメリカに渡って起業した四十代後半の男性夫婦の話。90年代当時ロスで独立して商売を始めてちょうど10年が経ったころのインタビュー。O氏夫妻はいまでこそ新興住宅地でピカピカの新居に住み、何ひとつ不自由のない豊かな生活を営んでいるが、この夫婦も様々な曲折を経験していた。

H夫妻(夫O氏四十代後半、男性)の場合

最近亡くなった「クレージーキャッツ」時代の谷啓に似ている夫のO氏は、京都大学の出身で、卒業後は大手自動車会社に就職し、その後34歳の時にこの会社のロス支店に転勤となった4年後の38の時に退職し、アメリカで独自の商売をはじめたという。

退職するまでは典型的なエリートコースを歩んだ。

しかしO氏は高校1年のときにAFS(アメリカン・フレンズ奉仕団)の支援で1年間のアメリカ留学を経験して、「多感な時期に、個人はいかにして他人とは違う」という教育を受けたためか、会社という組織の中で働くことを常に息苦しいと感じ、いつかは独立して自分の商売を始めたいと思っていた。

これは正味六年間のアメリカ留学経験のある俺にもよく分かる。とくにO氏の次の経験は、奇しくも俺が中小の自動車部品会社で経験したものと同じだった。

「自動車会社に入社したとき、新入社員が一堂に集められて整列させられたんですよ。まさか会社に入ってまで整列させられるとは思ってなかったから、これはショックでしたね」

俺も大学卒業後、帰国した自動車部品会社の工場とデスクワークの両方で、同じ経験をした。取材当時O氏がアメリカに渡って10年ということは、彼が新入社員だったのは80年代初期。俺が新入社員だったのは95年だから15年の開きがあるのに、同じことを経験しショックを覚えた。

それは、朝の朝礼とラジオ体操・・・。

ただ整列させられるだけでは済まなかった。まるで時計仕掛けのように、規則正しくこの奇妙な日課をこなした。これは日本の製造業ではいまも当たり前のことかもしれないが、やっぱり滑稽に思えた。

ところが、この規則正しい「日課」が日本企業の海外工場でも行われていて、しかも効果があるというのだから侮れない。日本の行きすぎた管理教育は、日本の高い製品クオリティを実現するのに役立っているようだ。

日本の経営手法がまだ海外に定着していない当時、O氏には知る由がなかったかもしれない。

話を元に戻そう。

日本の企業社会の現実に暗澹とした思いに駈られたO氏は、この時すでに独立して自分のビジネスを興す夢を抱いていた。そして、すぐに行動に移した。会社の仕事を終えて帰宅した後、副業として自営業を試みた。化粧品販売や魚の仕入れ代行、マッサージ器のリース、なんでもやった。

妻のT夫人曰く、「それでいて、会社のほうはそれなりにがんばっていたんですから、私からみればもう病気でした」というくらい商売に取り憑かれていたという。しかしそんな無理をしているうちにロス支店への転勤命令が下り、夫人は胸をなで下ろした。ところが、ロスに着いて2年も経たないうちにまたその「病気」が再発する。

こういう人が、ロスに馴染むのかもしれない。

(まだ途中です)



(実はリアルタイムでツイート進行中