GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

言霊:中田英寿が語る真の自己責任の美学

自分の行動に責任が伴うのは当たり前

中田:
一度自分に甘えたらズーッと甘え続ける。
自分をよりよくしていくため、
自分の生活をよりよくするため、
楽しむためにはどうすればいいかというと、

いかに厳しい状況に自分を置き続けることができるかだと思うんです。

そうすると少しのことでも楽しく感じる。
少し厳しいことがあっても厳しく感じない。
自分のなかでのそうした基準を、つねに高いところに
置いておかないと、どんどん落ちていっちゃう。

R25:
しかし実際には、自分の思う“正しさ”が本当に正しいのかどうか。
自分のなかの基準に対する自信なんてなかなか持てないものでは?

中田:
それは自信が持てないっていうことじゃないと思う。
他人基準にしたほうが楽だっていうだけの話ですよ。
他人の基準で判断すると、自分で責任を持たなくていいから。
自分の基準っていうのは自分のなかで責任を持ってやることです。
だからこそ自信を持ってなきゃダメだし、自信を持ってない人には
自分基準もないだろうし。

・・・自分の行動には責任が伴うもので、自分が食べた分は自分が払う。
ね、あたりまえじゃないですか?何かを食べて病気になるとか通風になるのは、
自分のせいじゃないですか。誰の責任でもない。自分の行動には自分がすべて
責任を持ってやるというだけですよ。
リクルート・フリーマガジン『R25
2006年6月8日号(No.96)のロング・インタビュー
「BREAKTHROUGH POINT~つきぬけた瞬間」より


中田の言葉は俺が理想とし、モットーとしていることの体現でもある。

ふだんから楽なことを減らしておくと、頑張ることに慣れてきて、ある程度
の無理が普通にきくようになる。すると自分のポテンシャルが伸ばされ、今まで
出来なかったことが、少しずつ出来るようになってくる。そうしてポテンシャルが
拡張された自分にさらに何かを課して、さらにポテンシャルを上げようとする。
─この繰り返しに慣れてくると、ちょっとしたことで「楽しく」感じるゆとりが
自分の中に生まれる。そのゆとりを感じられるのは、自分が常に自分のポテンシャル
に挑戦し続けているという自負があるから。その実感があるからこそ、どんなに
些細なことでも、存分に楽しめる「ゆとりの心」を持つことができる。
このゆとりがさらなる原動力となり、自分をより高めるための礎を育んでいく。

苦境を苦境と思わず、逆境を自分を高めるチャンスと捉え、つねにまい進していく。
まい進するからには、自分のやることはすべて自分の責任であることはいうまでもなく、当然のこと。
だがこの当然のことが出来ない人が実は多かったりする。

そしてこのインタビュアーのように、それが出来る人を「強い人」と形容する。

自分を高めるために苦を厭わないことって、そんなに特別なことか?
自分の基準を持って自分の判断のみで生きていくことって、そんなに大変なことか?
中田が言っていることは、俺の中でもごく当然の基準として存在する。

逆にこう思う。そうした「自分の基準」を持たない人って、生きにくくないんだろうか─と。