GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

映画:トータル・フィアーズ(The Sum of All Fears)―2002年

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最近、映画好きが嵩じて携帯DVDプレイヤーこんなの)を買ってしまった。
ここまでくれば立派な映画好きだ。最初は、その映像クオリティを試すために
『Final Fantasy VII Advent Children』を観てみた。

8"ディスプレイながら美麗な全編CGの表現力に満足した俺は、他の普通のDVDを観る前にオランダでのカンファレンスの会議の帰りに経由したマレーシアの空港で格安で手に入れたVCD(Video-CD)を観てみることにした。このVCD、実は買ったはいいが俺の持ってるどのプレイヤーもこれを再生することができなかった。PCのソフトではどうにか観れるようなんだが、普通に画面で見てみたかった。

クアラルンプール空港でピックアップしたのが、エイリアンの『トリロジー』(三部作)と『モンスターズインク』、そしてトム・クランシー原作・製作総指揮作品の『トータル・フィアーズ』だった。北の問題で日々頭を一杯にしていた俺は、この中から迷わず『トータル・フィアーズ』を選んだ。

原題でもある恐怖の総和という深いテーマを持つこの作品を、俺はこの日から一週間のうちに三度も繰り返してみてしまった。それくらい、なんだか“真に迫っている”気がしたのだ。

小説自体が古いので、その中の時代設定もやや古くていまの米露関係を知っていると、そこにリアリズムは感じられない。ただ時代とかそういうものに関係なく、どの時代も共通して同じだろうと思える要素が1つある。それが人間が感じる

恐怖


人間にとっても最も根源的な恐怖である「生存する権利を奪われる恐怖」。ここを突かれると、人はパニックに陥り、冷静さを欠き、判断力を失い、時には取り返しのつかないことをしてしまう。そう、報復だ。報復といっても、相手に危害を加えられる前に行ってしまうのだから、厳密には報復ではない。「自衛反応」とでもいおうか、まさに防衛本能が為せる業だ。

本作品では、その防衛本能を国家が発揮したらどうなるか、そしてその反応が連鎖して、「恐怖」が相互に積み重なっていったらその「総和」はどうなるかということを、じわじわと緊迫感を上げながら視聴者に感じさせていく。恐怖が積み重なっていったその先には何があるか──相互の破滅である。

作品の中では、この相互の破滅(相互確証破壊=MAD=“狂気”)という恐怖の総和を避けるべく、米露両国の首脳が葛藤する様がリアルに描かれている。両国では、冷静さを失った双方の国防幹部たちの間で様々な異なる意見が激しく飛び交う。特にアメリカ側は、本土で原爆が爆発し、ロシアの先制攻撃を受けたと考えているから冷静さを欠いている。さらに空母も突然の空爆を受け、大統領までもが完全に理性を失ってしまう。

アメリカ側
「アメリカが先制攻撃するのか?」
「先制ではない!我々はすでに二度も攻撃されてる!」
「ロシアを核攻撃するなどバカげてる!理性的じゃない!」
「ミサイルを撃ち込まれ知らん顔できるか!」
「奴らは私を殺そうとした!理性などクソ食らえだ!」

○ロシア側
「まさか先制攻撃はすまい?」
「先制と思っていない」
「敵の爆撃機が飛び立ったら、一刻も早く反撃しないと!」
「攻撃を思いとどまらせるには?」
「我々の核ミサイルも発射準備態勢にすれば、攻撃はしてきません」
「アメリカに対して核兵器を使えば、全面戦争突入です!」
「攻撃されるのを待てと?」

このような緊迫した状況の中で、徐々に恐怖が積み上げられていく。

そして両国は攻撃を段階的にエスカレートさせてゆき、遂にスナップカウント(最終攻撃準備体勢)に入ってしまう。後は、双方の最高司令官が発射指令を出すだけ。

刻一刻とカウントダウンは続き、緊張は頂点に達する。そして──


この作品のテーマは、想定可能な恐怖の連鎖とそれを止める

自制力


どちらかがこの自制力を欠いていれば、全面戦争は避けられなかった。
そしてそれは、双方の滅亡をも意味する。極限の状態だからこそ、
自制の力がもっとも必要とされる──それを痛感させてくれる作品だった。

日本と北朝鮮が全面戦争になったとして、北に核を撃つ(運搬)能力が実際にあるかは定かではない。だが、通常戦力でも日本が米軍の助けを借りてそれなりの兵器を使えば、第二次朝鮮戦争のような大戦争になるかもしれない。日米韓中露、6カ国の関わる大戦争となれば、半世紀以上前とは比べようもないほど多くの破壊がもたらされ、人命が失われる。その可能性は、北に自制力のない指導者がいればゼロではない。そのときに、米ソがこれまで、キューバ危機などで経験してきた一触即発の事態をどう回避してきたか。

一方は核を、そして長距離ミサイルを、一方は世界第二位の軍事力を持つ国家同士。これが総力戦になったら、どちらが勝とうと惨劇に変わりはない。勝てる戦争でも、相手を叩きのめせる自負があっても、人間としての誇りを失わないために、はやる気持ちを抑えて自制できるか。

これは究極、軍事衝突となったら、上記のように両者の国防幹部の間での問題かもしれない。だがその前の段階で、国家を戦争の道に踏み込ませないようにできるのは、人民の力なのではないだろうか。国家に先立ち、人民が自制力を持って、恐怖が引き起こすマス・ヒステリアによって人民の総意が戦争へと向かわないよう、その舵取りができるのは、人民一人ひとりの意識次第なのではないだろうか。

だがいまの日本に、日本人に、勝てる戦争を放棄する自制力はあるだろうか?

俺は疑問である。