ID:静かなる誇り
「国家の誇り」を闇雲に強調するのは、 誇りに自信が持てない証拠にしなからない。 作家・高橋秀実
「自分探し」と同じで、「誇り」にこだわる人間は、
それが自分の中にないことを自覚しているだけで、
その発見を誰かと共有したいと思っている。
共有しないと、不安になるんだろう。自信がないから。
だが、「自負」「自尊」などというものは、
自分の中で静かに育てればよいものであって、
それを声高に他にも求めるのは、独り善がりの押し付けに等しい。
かつて俺は、電車の中吊りで『国家の品格』のキャッチを読んで
共感して「言霊」にそれを載せた。だが本の内容に共感しているわけではない。
あの本はなんであるか。なぜいまの日本で爆発的に売れたか。答えは簡単だ。それは、
それが自分の中にないことを自覚しているだけで、
その発見を誰かと共有したいと思っている。
共有しないと、不安になるんだろう。自信がないから。
だが、「自負」「自尊」などというものは、
自分の中で静かに育てればよいものであって、
それを声高に他にも求めるのは、独り善がりの押し付けに等しい。
かつて俺は、電車の中吊りで『国家の品格』のキャッチを読んで
共感して「言霊」にそれを載せた。だが本の内容に共感しているわけではない。
あの本はなんであるか。なぜいまの日本で爆発的に売れたか。答えは簡単だ。それは、
『国家の品格』がハウツー本だからだ。
自らの何を誇れるか、そんなことまで他人に指南されないと見つけられないのなら、
たしかに今の日本人に誇れるものなど何もないのかもしれない。だからこそ、
過去の価値観にしがみつき、過去自分以外の人間が出来たことに思いを馳せ、
自分が生きたこともない過去の時代を懐かしむんだろう。情けない限りだ。
たしかに今の日本人に誇れるものなど何もないのかもしれない。だからこそ、
過去の価値観にしがみつき、過去自分以外の人間が出来たことに思いを馳せ、
自分が生きたこともない過去の時代を懐かしむんだろう。情けない限りだ。
(了)