GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

転載コラム:(上)戦後の日本をどう思うか

数ヶ月前、ある掲示板で「戦後の日本をどう思いますか?」という素朴な問いかけがあった。
良い機会だと思い、自分の中にくすぶってた考えを一気にぶちまけてみた。
やっぱり俺は、この国の行く末をずっと気にかけているみたいだ。

この間、俺は公の場で初めて、この考えに軸をおいた持論を発してみた。
この国を思う気持ちの軸が、ずっとぶれていないことを確信した瞬間だった。

日本の戦後について“総じて嫌い”かというとそうでもない。

「アジアの奇跡」と謳われた70年代~80年代初期の日本は、“好き” な部類に入る。何時ごろからの戦後の日本が“嫌い”かといえば、やはりバブル期とバブル崩壊のとき以来ではないだろうか。「追いつけ追い越せ」のハングリー精神を棄てて、飽和した経済の中でモノの豊かさと心の貧しさが並行して育ちはじめた時期だ。あれが、俺にとっては“好き”な日本と“嫌い”な日本の分かれ道かもしれん。

だから戦後の上半期は“好き”、下半期は“嫌い”ということになる。

そしてこのままでいいかというと、勿論そうではない。かといって、上半期の“好き”だった頃の日本に戻れるかというと、戻れはしないだろう。日本経済の原動力となってきた団塊の世代が表舞台を去り、国際競争の中で対等以上の力を見せてきた踏ん張りや意地のようなものは大企業の中でも失われてきている。

国際情勢も30年前といまではまるで違う。冷戦が終わり、日本は良くも悪くも重い責任を持つ大国へと成長していった。だが同時にその発展による驕りが慢心を生み、姿の違うバブルがいくつも造られてははじけることを繰り返してきた。これまで踏ん張ってきたツケのせいか、日本人は「楽しかしたがらない」人種になってしまった。その分、脅威や外敵に弱い脆弱な仕組みを持つ社会に変貌していった。

いまやこの国は「守り」に入っている。そして守りはするが、新しいものを認めない、誕生させない、育てない。だがさらに古い考えは掘り起こし、見直し、社会の仕組みに組み込みなおすという懐古主義を是とするような風潮が芽生えつつある。このままでいいのか。いいわけがない。

30年前の過去であろうと60年前の過去であろうと、それ以前の過去であろうと、過去を振り返っていることに変わりはない。俺は過去を振り返らずに「新しい日本の姿」というものを模索すべきときに来ていると感じる。過去の功績や、過去他の国が成し遂げたことの模倣にこだわるのは、もう卒業する時期なのではないか。いまさら「普通の国」になってどうする。それではこれまでの時間が勿体なさすぎる。これまでの国家史にない「日本オリジナル」を作り上げることができたとき、俺は日本人の精神の後退も止むのではないかと思う。そして新しい日本を造るために再び新たなハングリー精神が芽生えるのではないだろうか。そうなったらきっと俺は戦後の日本を再び“好き”になれる。