平和について考える時間(下)
憲法を変えることに賛成の人も反対の人も、実際に9条があることでどんな事態を未然に防げているのか、あるいは9条を変えることで日本がどれほど深く戦争にかかわっていくことになるのか、リアルで、実質的な見方をしてほしい。それが「武力によらない平和」をつくっていくことにつながる。
偏りなく、人間というものをプラグマティックに捉えた彼の考え方に強い共感を覚える。と同時に、なぜ「武力によらない平和」と釘を指すのか疑問に感じる。答えはその後の文に続いており、ここでもまた俺は強い共感をおぼえるのだった。
あえて「武力によらない平和」というのは、可能なかぎり武力によらないで紛争を解決していくために何ができるかという発想を強調したいわけです。
この「発想」は、実は国連憲章の精神と完全に合致している。すなわち、二度と同じ過ちを犯して世界を大戦の渦に巻き込まない──。そのために、国連は集団安全保障体制として発足したということだ。ただ、発足当時の理念はそうであっても、実践面では国家のエゴという要素により機能不全に陥ってしまっている。世界は国連の権威を疑問視し、新たなる集団安全保障のあり方が、いま問われている。
けれども、国連憲章の精神は、生きている。
そしてその精神をもっとも体現してきた国が、日本なのである。
愛敬氏はこう続ける。
『武力によらない平和』というのは、単に日本だけが武装解除することではなくて、なるべく紛争解決に軍事力を介入させない外交関係をどうつくっていくかということです。えらく長いプロセスになると思いますけど、それを出発する上で僕は憲法9条があるっていうのが有利なスタートだと思っているんです。
まったく同感である。ただ、こううまくは言えなかった。
さらに愛敬氏は、これまで「本州」にいる人間では「想像」できなかったことを鋭く示唆した。(“”は追加した)
そう。日本には、未来の我々に先んじて憲法九条のない状態を経験した日本人がいる。
沖縄の人たちだ。我々の同胞だ。
沖縄にいま残っている、日本の全体の70%を占めるという異常な規模の基地は、愛敬氏曰く「戦後に占領されたときの基地が沖縄にそのまま残っている」わけではない。50年代、沖縄が返還される前に、基地の拡張が行われている。そのときの状況は、占領国の領土として、主権もなく言われるがままに従属しなければならなかった状況。新憲法の採択により自由・平等・権利を保障された本土の状況とはまるで違う。だからこそ、沖縄の人たちは日本への復帰を望んだ。この、我々の同胞がかつて突きつけられた現実を、忘れてはならなかった。しかし、我々の多くは、忘れていたのだ。
九条がない世界を、経験している日本人たちがいた・・・そうだ、いたんだ。
「想像する」だけでなくてもいい。ただ「思い返して」みればいい。なぜならそれは、「日本人の記憶」なのだから。思い返せないならば、いまいちど沖縄占領の歴史をふり返ってみればいい。
そこには紛れもない、「九条なき日本」の姿が映し出されているはずだ。そして、九条の庇護の元に戻った沖縄のそれと比べてみるといい。際限のない基地開発に歯止めがかかり、沖縄は「極東の要塞」でありつつも、「日本人の土地」となった。
・・いや、俺も「九条なき日本」だった沖縄の姿を知らない。憲法学者が「調査すべき」というくらいなのだから、これまで本格的に調査されたこともないのだろう。本当にそうなら、調査すべきだと思う。
愛敬氏は沖縄の人たちこそ、これまで9条を使いながら、少しでも状況を改善していけないかと闘ってきた人たちだという。だから彼らには「憲法愛国主義」を語ることができるのだと。つまり、沖縄の人たちは「自らの生活を守るために日本国憲法のある日本に戻ろうという考え方をした人たちだ」というのだ。
九条を失ったことのない、生活と安全と権利を保証されてきた本土の我々に、沖縄の人たちの切なる願いをむげにする資格などあるのだろうか。つまり、少数の犠牲によって成り立つ秩序というものを、何の抵抗もなく我々は受け入れることができるのだろうか。一部の人間が目指す新しい日本の姿のために、これまで憲法を武器に戦ってきた人たちから、その武器を取り去るという身勝手なことをして許されるのだろうか。
愛敬さんはこう語る。
それが僕の一番好きな99条に『国民』の文字がないことの意味だ。
脱帽だ。筋金入りの平和主義者とは、彼のような人間を言うのだろう。尊敬する。