GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

外交:尖閣ビデオ流出に対する評価が示す大衆心理に敢えて物申す

英雄的行為か犯罪行為か 大勢は告発行為を支持

尖閣諸島沖での中国漁船による海保巡視艇への体当たりの模様を記録した海保所有のビデオの動画がグーグルのYouTubeサイトに流出投稿された話題でどこも持ちきりだ。海外メディアでも話題をさらっている。

世論調査としては。統計上いま一つ信頼性に乏しいがひとつの目安とはなるYahoo!の意識調査では、この映像流出行為を「歓迎する」という結果が大勢を占めている。



Yahoo!ニュースでの意識調査結果(11/15迄進行中)
問:「尖閣諸島沖での漁船衝突事件のビデオとみられる映像がネットに流出。衝突時の映像は、一部の国会議員を除き公開されていないものですが、今回の映像流出についてあなたはどう思う?」
http://i.yimg.jp/i/topics/clickresearch/roll_blogparts.swf?poll_id=6052&typeflag=1



なぜ「支持」でなく「歓迎」という表現なのか、設問作成者の意図は不明だが、ツイッター上の賛否を見ても、確かに同様の感触を得る。すくなくとも世論の一端を形成するネット世論においては、映像を流出させた行為は、政府の行動を正す「英雄的行為」だったと捉えられているようだ(「歓迎」票のコメント一覧)。

私はツイッターの呟きで、この行為を支持する評価をこう表現した。

現実離れした超法規的な行動をとれる人間を待ち望んでいたんでしょう。
その期待に応えたから英雄扱いとなる。

これは当たらずとも遠からずな観察だと思う。

政府のふがいない対応に積もる大衆の不満

政府・国会がビデオを公開しない判断をとったのは、日中両国の間でこの問題は平和裏に処理されたものとして相互理解が成立したからだと思われる。

「衝突事件のビデオ映像を公開しない」仲井真弘多沖縄県)知事の尖閣諸島視察を中止してもらいたい」--。細野氏、篠原氏、須川清司内閣官房専門調査員と約7時間会談した戴氏らはこの二つを求めた。報告を聞いた仙谷氏は要求に応じると中国側に伝えた。
出典:アジアサバイバル:転換期の安保2010 「尖閣」で露呈、外交の「弱さ」毎日新聞』2010年11月8日付け東京朝刊(※強調は筆者が追加)

したがって、このビデオが公開されるようなことは、少なくとも政府側からはあってはならないこと。

だからこそ、合意を反故にしたと思われないよう必死で「犯人捜し」を行っている。それは、外交上の儀礼としてのポーズかもしれないし、本気かもしれない。「犯人」が逮捕される段になったら、政府の姿勢が明らかになるだろう。

尖閣衝突事案の対処について、政府は中国の後手に回り外交上の敗北を喫した。中国漁船乗組員および船長を逮捕・拘留したことの報復として民間企業の人間を「人質」にとられ、日本側は船長を解放したものの、中国側は「人質」を一人残し、一挙全面解放はしなかった。さらにレアアースの輸出禁止という強力なカードを前に、日本政府は屈服せざるを得なかった。

国会でも、これ以上の対峙・関係悪化を避けて、日本側のカードであった筈の漁船衝突の証拠ビデオは、限られた一部の人間だけがその目で見て確認できる“厳秘”資料となった。

そうして多くの国民が政府の対応に不満を持つ形で衝突事案はいったんは幕を閉じたが、大衆の不満は積もりに積もったままとなった。

そんな不満を一気に吹き飛ばしてくれたのが、「国士」と一部に称される“sengoku38”の英雄的行動だった。政府が国民にひた隠しにしたもの、外交上の懸念から隠さざるを得なかったもの、そしてそれさえあれば、事態は違う展開を見せたかもしれない切り札。それを、“sengoku38”は政府の管理から離れ、一般に公開する勇気ある行動に出たのであった。仮に彼又は彼女が実際に公務員だったとしたら、懲戒免職どころが刑事訴追されることになるのを承知な上での勇気ある行動だった。

―それが、「歓迎する」に票を投じた人々の思いと評価だろう。
それが、カタルシスを求める大衆の心理なのだろうとは思う。

だが、問題はあくまで行為の違法性にあることを忘れてはならない。

法治国家であることをやめるのか

これまでの海保内の調査や検察の捜査により、流出したビデオデータが海保所属のものであったことは明らかとなっており、さらにそのデータに対するアクセスを持つものは10数人に限られることまで判明している。つまりこのデータの漏洩に関わった人間は公務員となり、「国家機密」としではなくとも、国土交通省が保持すべき部外秘情報を民間に流出させたことになる。これは国家公務員としての守秘義務違反であるだけでなく、不正アクセス禁止法違反でもあり、窃盗の対象ともなる、重大な犯罪行為を重ねていることになる。

こうした犯罪行為を、時代劇よろしく大衆心理を喜ばせる「英雄的行為」を働いたからといって免罪してよいのか。それは、法治国家であることを放棄することを意味しないか。

考えてもみるといい。

日本人は、発展途上の中国に対し、その優越を誇るときに必ずといっていいほど日本が法治国家であることを筆頭に持ち出す。実際は世界のほとんどの国が「法治国家」であって日本もその一部に過ぎないのだが、こと中国という発展途上国との比較においては、日本が世界に冠たる法治国家であることを誇ることが多い。

本当にそれが途上国社会中国に対するエッジであるのならば、大衆の欲求が満たされるという理由で英雄的行為を犯罪行為より上位に据えるというのはどうなのか。たとえそれが、法を離れたところにある正義であろうとも、自らが掲げる「法治国家」の旗を、たとえ一時的であれ降ろすことになりはしないのか。

それでいいのか。

「粛々と法令に基づいて対処する」

中国の大人げない態度にそう毅然と対処したのが日本政府であり、大衆はその姿勢を支持したのではなかったのか。それとも、その後の対応がまずくて結果的に外交的敗北に終わったから、その時点で支持したことの責任も都合よく忘れ去っているのか。

私は“sengoku38”の行為を「歓迎」はしない。
「やむをえない」とも思わない。
「問題だ」と思う。

それが、法治国家の人間としてとるべき立場だと思うからだ。

(了)