GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

Twitlog:尖閣ビデオ流出の犯人が裁かれなければならない理由

なぜ「義憤の勇士」といわれる“sengoku38”は
法の名の下に裁かれなければならないか


先進国という責任ある立場にある国民が、超法規的な「裁き」を是とするようであってはならない。時代劇の登場人物のような、大衆の不満を代弁・代行する存在を欲しはしても、それを現実の世界で求め許容してはならない。その戒律のもとに自らを律しない法治国家の人間は尊敬の対象足り得ないからだ。

確かに、政府は国外の被疑者に対して超法規的措置をとり処分保留のままその身柄を引き渡した。ここに法治を越えた高度な外交的取引が介在したのは疑いようがない。この事があるから、国内の被疑者についても同じでいいじゃないかとしたら、なし崩し的に法秩序が乱れる。

法治国家としてそれでいいのか。

政府は証拠ビデオの内容を承知していた。その上で国外被疑者の釈放を決定した。国会で政府関係者が答弁している内容は全く意味不明だが、その裏には本当の賛否を公表できない事情があるのだと推察する。「ビデオの公開が情報漏洩者の減刑に繋がる」という論理がどうにもデメリット論として弱いからだ。

自民党の若手議員が国会で質した通り、表面的には、ビデオを証拠として中国側に突きつけることのメリットが大きいように見える。しかしいかに正当な理由であれ、国家としての面子を潰すような行為は後を引く。その国と展開中の交渉にも悪影響する。

一時の外交的勝利と長期的緊張。
どちらを選ぶか。

政府はギリギリの選択を迫られたのだろう。国内外で「弱腰外交」と批判されるのは承知。しかし国家としての行く末、グローバル化する相互依存経済、その悪化が中長期的に国民生活にもたらすであろう影響を勘案すれば、「負けて勝つ」ことを選ぶしかなかったのだろう。

だが、相手は一枚上手だった。

日本側はギリギリの決断で超法規的措置による釈放を敢行したが、中国はその効果を「人質」をとることで相殺した。日本側が有利でいる状況を許さなかったのだ。結果、日本は二重に中国の圧力に屈し、相手側の圧倒的勝利によって終息したかの印象を国内外に与えることになった。

日本外交の敗北である。

しかし、日本側には切り札があった。おそらく中国以外の国の情報機関も入手していた映像証拠が国際情報社会では既に共有されていたからだ。日本の情報管理の不備ならば十分可能なこと。これを表に出さずにさえいれば、日本は中国の頭を押さえながら今後の外交交渉を比較的有利に展開できた筈だった。

ところが、それがある勇士の行動により表に出てしまった。そしてその効果は、日中関係を有利に運ぶどころか、政権の命取りとなっただけだった。時機を逸した公開であり、また国際社会的にはすでに手打ちがなされているという筈の状況での暴挙だったからだ。

むしろこれで日本はますます深みに嵌まった。

国際社会(メディアではなく)の目は、日本政府が今回の失態をどう克服して、かつ中国と渡り合っていくかを注視している。日本の情報統制の甘さは今に始まったことではないが、今回のは日中間の手打ちがあったと仮定すれば致命的に各国の信頼を損なうことになるからだ。

まさに国益の損失とはこのこと。

が、政府はこれを国会で説明することもできない。当然だ。これ以上国際社会に信頼のおけない政府と思われたら、APECの議長国としても国家の威信が丸潰れである。いかに阿呆扱いされても非難されても、現在行われている意味不明な答弁しか繰り返せないだろう。

それが、国家を背負うということだ。

他方、政府は情報漏洩の失態から原状回復しなければならないため、徹底的かつ迅速に情報の漏洩者を追求し法の裁きを受けさせなければならない。それが重要な国際会議の議長国たる国家の威信をかろうじて保つ唯一の方法だからだ。

検察警察が必死なのはそのためだと考えれば説明もつくだろう。

こうした背景があると考えれば、ビデオの公開とくに遅きに失した手打ち後の公開がメリットどころかデメリットしかなく、また情報漏洩という最悪の形で国家の威信を傷つけた者を、国家と法治の名のもと厳重に裁かなければならない道理もわかるだろう。

故に、義憤の勇士は裁かれなければならないのである。

以上。思いの丈を語らせていただきました。

2010.11.10 15:30~16:40の間にツイートした内容のまとめ