GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

外交:(後編)常軌を逸した敵性国家に対する有効な備えとは─総括メモ

「宣戦布告」した北とどう渡り合うか

じわじわと地道に北を追い詰めていたはずが、北の読み違えのミサイル発射を逆手に、国際社会は一気に北を叩く機会を得た。日本もこの件のハンドリングの結果如何によっては国際社会から高い評価を得、国際安全保障に関わる資格のある国家として認められることだろう。だが、北は一筋縄ではいかない。米国が重要視する中国との関わりもある。では日本は、追い詰められて常軌を逸した行動をとり始めた敵性国家とどう渡り合ってゆけばよいのか。基本的に、相手が敵性である限り、攻・防の両方が必要になる。それには、ミサイル防衛網の早期構築も含まれるだろう。だが軍事的な守りばかり固めても仕方がない。日本がもっとも弱いのは外交面の守りなのだから、そこを固める必要もある。では、これまでに日本がとってきた対策は有効なのだろうか。そこをまず検証してみる。

日本はこの事態に陥るまで、堅実に国際社会の支持を得るための手続きを踏んできた。外交チャンネルを駆使して警告を発してきたし、その警告を実践するための足場固め(制裁法の確立)も行ってきた。つまり有言実行の意思があることを世界に示してきた。これは日本に対する国際的評価を「可もなく不可もない」程度に上げるまでは、貢献してきたと思われる。なぜなら、その程度の対応は普通の国なら出来て当たり前のことだからだ。これは何も「軍事立国」でなければという意味ではない。普通に外交を巧みに使い国益を追求する国家なら、そうした一連の手続きを迅速に進める環境が整っていて当たり前ということである。では、当たり前のことができるようになった日本に何ができるのか。

当たり前の接し方をすることだ。

二次大戦から半世紀、世界は冷戦を経験し、代理戦争を経験し、数々の紛争に塗れてきた。しかし、じゃあ過去30年ほどを遡ってみて、先進国同士で戦争を行ったことがあるか、というと。そんな事実は見当たらない。代理戦争という形ですら、先進国同士がぶつかったということは、二次大戦以降ただの一度もないのではないか(注:旧ソも現ロシアも先進国ではない)。

日本も、そうした先進国の一員である。経済大国でもあり、裕福な国、貧困や深刻な雇用不安とは無縁な国。いまも低い犯罪率を享受しており、ホームレス人口も少なく、一部の凶悪犯罪を除いては平和な国だと言い切れる、そんな世界に誇れる先進国である。その先進国の日本が、今更「普通の国」になるのはおかしい。今更、この半世紀軍備に財政を削られてきてわが国のように福祉の充実した体制を築けなかった国に“近づこう”という発想がすでにおかしい。日本はすでに世界のほとんどの国を“追い抜いている”'からだ。それは、いま「日本」が「日本」足りえてることが実証している。

先進的な平和思想もそうだが、日本は自らに課した鎖によって、自由に領土拡張や資源獲得のための戦争が出来なくなったおかげで、国内経済は他の手段で潤う方法を見出した。勤勉な労働力を生かして技術立国となり、その技術力で経済大国へと成長した。戦後焦土から立ち上がった半世紀、同じ半世紀を過ごした国は日本だけではない。アジアにも、ヨーロッパにも数多く存在する。だがいまなお日本ほど平和を享受している国があるだろうか。

「日本は世界に貢献しなければいけない」
「日本の外交には顔がない」
「日本は「普通の国」並みの軍事力を持つべきだ」
「日本には国家戦略がない」
「日本人には国際社会の一員としての自覚がない」
「日本人はカネ以外にも世界に貢献すべきだ」
等など・・・

これらの批判はすべて実は自己批判であり国外から日本に向けられたものではなく、日本人自身が自分たちの国を憂いて、内外から発している言葉だ。どうやら、日本人というのは相当謙虚な人種なのか、相当貪欲な人種なのかのどっちからしい。決して、現状で満足することがないのだ。だが日本のありかたはそんなに間違っているのか?日本人の考え方はそんなに「いけない」のか?日本人は「先進的でない」のか?日本人は間違った生き方を選んでいるのか?

これは転機だ。いま一度過度な自己批判の悪循環から脱して、日本人はあらためて自分たちの何がよくて何が悪いのか、そして何を残して何を捨てるのか、取捨選択すべきときを迎えている。その機会を、今回の北のミサイル問題は与えてくれた。ここから、旧態依然とした軍事国家と肩を並べるか、誇りある生き方をしてきた先進国として「さらに進んだ道」を選択するかが日本人の分かれ道となる。

そのテストケースが、本件の対応になるだろう。
日本人の新しい「当たり前」を見つけるのだ。

それこそが、先進国日本が世界に示すべき新しい日本のスタンダードである

(完)に続く