GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

外交:(完)常軌を逸した敵性国家に対する有効な備えとは─総括メモ

世界に誇れる「日本スタンダード」

先進国・日本が世界に誇れる「日本スタンダード」は、その徹底的な平和主義にある。「一歩退いて相手を立てる」という美徳。「負けるが勝ち」という美徳。「何事も丸く収めようとする」美徳。これらの美徳は、近年、日本人の悪いところだとして内外で批判されてきた。日本人が特に弱いのが、自分たちでもそう思っていることを外の人間に指摘されたときだ。これらの美徳について、日本人は半ばやっかみから、そして利己的な理由から海外から発せられたこうした批判に素直に耳を傾け、「ああ、自分たちはこのままではいけないんだ」と自らに言い聞かせてきた。それを繰り返しているうち、すっかりそのクセが身についてしまって、いまでは「批判されて当たり前。それが日本人の国民性だから」と考えるまでに至ってしまった。

いまの日本に不満を持つ人たちの多くは、こうした美徳を悪しきものとして過去の遺物として葬り去ろうとしている。そしてその代わりにどんな真新しい価値観を持ち出すのかと思えば、「武士道」だの「侍の心」だの大和魂だのと古めかしい懐古主義じみた刷りなおしの考えばかり。それも進化ではない。退化だ。いまさら、戦前、戦時中の価値観に戻ってどうするのか。世界はこれだけ劇的に変化しているというのに、日本もこれだけ変わったというのに、なぜ半世紀以上も前に、結果的に「自分たちは正しい」と信じて疑わなかったために、その驕りのために敗れ去った古き考えを復興させようとするのか。なぜOBSOLETEと時代錯誤のレッテルを貼られた考えを掘り起こそうとしているのか、最近悪流行してる言葉でいえば、理解できない

日本には戦後、半世紀かけて築き上げてきた日本独自のスタンダードがある。それは平和憲法と呼ばれる(国際的には「平和主義憲法」)日本国憲法のの精神からくるもので、日本はこれを尊び、守りぬくことで今日の繁栄を築いてきた。しかし、「それではいけない」と誰かが思うようになった。日本だけ、平和憲法のもとでぬくぬくと幸せになってはいけない。平和を独り占めしてはならない。日本も責任ある国家となるべきだ」と。はて、

日本がどう責任感のない国家だったのだろうか。


戦後60年が経った現在、日本は少子化に悩む高齢化社会となったが、ではその背景に何があるかといえば、戦後60年間、戦死者を出してこなかったからである。そのため大幅な人口の削減や、家系の断絶というものを経験しないまま、日本の社会は膨れ上がっていった。それは、日本が責任ある国家として、国家の責務である国民の生命と財産を守り続けてきたからにほかならない。しかし、今の日本に不満を持つ人はいう。そんな緊迫感のない時代に生きてきたから、日本人は腑抜けになってしまった。朝鮮人や中国人に舐められる人種に成り下がってしまった─と。

だから、どうだというのだろう。


自らの生き方に誇りを持っているのなら、他に何を揶揄されようと誹謗中傷されようと、その生き方に疑問を感じたり、変えようとはしないはずだ。日本人としての誇りというものは、“今”になく“過去”にあるのはおかしい。日本人がもっとも日本人らしくあった時代など、鎖国してきた徳川幕府の時代にでも遡らないとたどり着かない。もっと昔に遡ってみても、「日本人のルーツ」など、しょせん大陸の移動によって大陸の人間が取り残されて出来た国なのだから、この島国から生まれて育った人間が日本人のルーツなわけではない。じゃあ、一体どこまで遡るというのだ。一体どこまで遡れば、自らが「日本人」であることの誇りを蘇らせることができるのだ。そんな「自分探し」には意味がない。それは日本人としてのアイデンティティーを失っているのではなく、日本人としての自分を忘れているだけなのだ。

いま、日本には誇るべき「日本のスタンダード」がある。それは

「恥を忍ぶ」ということだ。

恥を忍んで、国防を他国に任せる。
恥を忍んで、他国の真似をする。
恥を忍んで、へりくだる。
恥を忍んで、自分を殺す。
恥を忍んで、相手を立てる。
恥を忍んで、暴力に訴えでない。
恥を忍んで、個より公共の和を尊ぶ。

俺は、これができる日本という国は、なんて素晴らしい国なんだろうと思う。

昔「滅私奉公坊は日本のお家芸」などと言われたものだが、いつの間にやら世界に対する貢献とやらもすべて紐つきに変わり、日本はすっかりしたたかな搾取側の国になってしまった。それも、「恥を忍ぶ」ことに耐えかねはじめた国民性が政府の人間にまで伝播してしまったからかもしれない。しかしそうして変わってきた日本は、逆に世界から取り残された存在となっていった。おかしい。世界と「同化」するために、共にあり続けるために日本は「恥を忍ぶ」文化を捨て去ったはずなのに、なぜだろうか。

世界がいまの日本を置き去りにして進んでいっている理由(ワケ)。それは、日本人が自らの育んだ「日本スタンダード」すら大事にできない、自分たちのオリジナリティーを大切にできない民族としてリスペクトされないからだ。なにが良いか、良くないか。賢明な民族ならそれに気付き、取捨選択して進化の道を選ぶはずである。しかし今の日本人は、何かの壁にぶち当たると「前」ではなく「後」を向き、「自己」ではなく「周囲」を見て判断を決める。それでは、リスペクトされなくて当然である。アジアの中でも、日本のこうした「没個性」的な精神の衰退は日本が政治の世界でも、経済の世界でも、スポーツの世界でも、あらゆる文化表現の世界でも、舐められる1つの要因となっている。「自らの生き方」「価値観」に誇りをもてない民族など、(国際)社会の一員として認めないという考え方があるからだ。

最後に話がすっかり抽象論になってしまったが、日本がいまの事態(北に、中国に、韓国に、そして世界に舐められている現状)から脱するには、新たな意味での「精神の改革が」必要だと思う。しかもそれは、純粋に日本人の中で始まらなきゃいけない、日本発祥の考え方に基づかなければいけない。そして勿論、日本人が受け入れられる考え方でなければいけない。でなければ、「日本オリジナル」である意味がないからだ。

北も含め、韓国、中国、アメリカ、ロシア、西ヨーロッパ各国、東欧、北欧、中東、アフリカ、南米、北米、オセアニア、アジア全域で日本が舐められないようにするには、「日本スタンダード」に対する確固たる自信と根拠を持って、「これが日本のやり方だ」といえる土壌を作り上げる必要がある。これは、政治家や外交官だけが持てばいいというわけではなく、政治家や外交官を生み出す土壌となる一般国民の中にも浸透しなければならない考え方だ。でなければ、いつまでたっても自らの歩みを否定し、進化を否定し、育まれてきた価値観を否定し、自らの存在意義すら否定する、卑屈で自尊心に欠ける国民性しか育たない。

Q:「日本スタンダード」は世界に通用してきたか?
A:通用してきたからこそいまの繁栄がある。

Q:「日本スタンダード」は日本を豊かにしたか?
A:自分の周りを見回してみるといい。モノにあふれ、便利なものに囲まれ、失業しても保険が効き、国民でさえあれば医療補助も保障されている。犯罪率は低く、死亡数で最も多いのは交通事故くらい。戦争で帰らぬ人となったのはごくわずかで、少子高齢化社会や自殺の急増という先進社会ならではの課題に直面しているが、それすらも大きな問題とならずにシルバービジネスが栄え、新たな産業と雇用を生み出す土壌にすらなっている。本当に転んでもただじゃ起きないしたたかさとたくましさ。これが、「日本スタンダード」ならではの功績でないとしたら、一体何によるものだというのか。

Q:では「日本スタンダード」は世界に貢献しているか?
A:十分に貢献しているだろう。国連システム全体(すなわち国際安全保障そのもの)が日本の巨額の出費によって賄われているようなものだし、貧困国に対する支援も、経済だけでなく、医療、司法、食料、農林業、教育など多岐にわたる。その全ては、日本の高所得水準から得られる高い税金で賄われており、日本国民は一人ひとりが自覚しなくても、その資産を国家に運用させていることで世界中の発展に寄与している。いまやJICAのイニシアチブとなったODAアジア開発銀行の創立などは日本が先導して行ったもの。日本にアジア発展の為の独自のビジョンがあったからこそ成し得たこと。これも「日本スタンダード」がもたらした恩恵である。

Q:だが「日本スタンダード」は独りよがりな価値観ではないか?
A:これだけ国内外に貢献しているスタンダードがどう独りよがりになるのか。仮に少し独りよがりな部分があっても、ヒトの作るものなのだから聖人君子的な潔癖さを求めているわけではない。少しくらい独りよがりな部分があったとしても、それはより人間らしく自然なことで、別に恥じることではないだろう。逆に、「独りよがりだからどうだ。それがどうした?」といえるくらいの気概がもてないのか?

・・・このように、ちょっと自問自答していけば「日本スタンダード」がどれほど日本の誇るべき独自の価値観であり、であるかがわかる。十分誇っていいのだ。自慢していいのだ。優越感に浸ってもいいのだ。それだけの価値のあるものを、半世紀かけてあの焦土の中から日本人は作り上げてきたのだ。それだけ人の思い、血と汗がつまって形作られたものが、宝物ではないわけがない。尊いものではないわけがない。

いま一度、日本人は日本人であることがどういう意味を持つのか自ら立ち返るべきだ。何がいまの繁栄をもたらし、何がいまの生活を支えいてるか。それを考えなおすべきだ。そうすれば、アジアの隣国に舐められるようなこともなくなる。自信を持って政策を展開すれば、結果が相手を黙らせる。その位の気概を持って、日本人は再び世界と渡り合っていくべきだ。日本人の宝であり、生命線である「日本スタンダード」を糧に。


筆者からこのメモを読んでいる方々へ
後半からだいぶ抽象的になり具体論を欠いてしまったので、対北の具体的な政策提言についてはまた後述することにする。ここまで読んで「なんだ結局、抽象論に落ち着くのか」とがっかりしてしまった読者もいるだろうが、俺も人間なんで多少は熱くなることがあるのでそこは勘弁してもらいたい。ただ、ここは俺の雑記帳で、思いの丈をそのときに、なるべくそのままの言葉をその場で綴るための場所なので、これはそうしたパーソナルスペースに書いた俺の殴り書きの1つとして受け止めてもらえれば幸いである。