GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

映画:(総括)日本沈没(Sinking of Japan)─2006年

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国家規模の災害が起きたとき、この相互依存社会の中では国家は他の国家、多国間条約機構(国際機関)、あるいは超国家的な組織(現在これが事実上存在するとすれば、国際赤十字くらいかもしれない)に頼るしか術がない。

事実、『日本沈没』の中では、同盟国のアメリカをはじめとして、近隣諸国の中国も勿論、事実上流浪の民となる日本国民の受け入れを渋り始める。国連などその姿すら現れない。唯一の救いは、日本が独自に提案した危機打開案について、各国がその作戦に必要な船舶を提供してくれたことだ。この中に中国船まで含まれていたことが、映画の中ではむなしく強調されていた。隣国に支援して貰えることが、強調すべきことという認識が製作者側にあることの表れだからだ。挙句には、強欲で保身しか考えないある指導者にが、国家・国民の財産である国宝を片手に事実上、亡命してしまう。自分は亡命しておきながら、国民は実際はあと1年で日本列島が沈没するというのに、「あと5年ある」という嘘をついて国民の危機感を麻痺させる。

勿論、愚者がいるからこそヒーロー(この場合はヒロインだが)が光るわけだが、ドラマ作りのための映画の設定としてはこれでよいとして、実際に有事になったときにこんな指導者がいたらたまらない。だが、今の日本の政治家を見ていて、実際に日本を救うヒロインと、この卑怯者政治家の間に立つ人間すら存在しないのではないかと、心底そう思ってしまう。最終的には、この卑怯者政治家寄りの人間しか、日本国民は選ばないのではないか。目先の勝利ばかり願う近視眼的な思考に統べられてしまっている現代日本人を見ていると、悲観的にならざるを得ない。

映画の中では、最終的にアメリカにも難民の受け入れを拒否され、日本は北欧や中南米親日国に一部難民の受け入れをしてもらうのが精一杯のまま、事実上孤立したまま一国のみで近代社会が未だかつて経験したことのないカタストロフィに単独で立ち向かうことになる。


─この映画は、有事の日本と日本人の姿を見せる触媒となってくれた。

皮肉にもそれは、真逆を想像させることによって初めて頭の中で
視覚化されたのだが、そのビジュアル(映像)とはつまり、映画の中で
起きていることを反転させたものである。つまり─

▼日本政府は事実を隠蔽したまま要人たちだけ海外に脱出し、残った愛国心ある一握りの公僕だけが自国民の避難・救済にあたる。

▼残った公僕は実際に人不足に陥り、避難・救済にあたったとしても実際に救出できるのは一握りの人たち。国民の不満が募り、暴動へと発展し、責任を問える指導者不在のまま警察・自衛隊が出動して沈静にあたる。

▼人々は荒廃していく母国の惨状に耐え切れず正気を失いはじめ、あらゆる犯罪が横行するようになる。もはやモラルなど存在せず、人々は残り少ない命を保つために手段を選ばなくなる。

▼治安・秩序は完全に崩壊し、事実上の無政府状態となったなかで自衛隊も統制を失い、野戦軍化していく。

▼各国では防ぎようのない日本の崩壊を目前にして、日本以外の世界と国際体制を温存するための大いなる合意に達する。それは、日本の崩壊を促進させる(黙過する)こと。

▼軍隊である自衛隊の暴走を止める名目で、国連は軍事的措置を決定。日系難民の流入は封じられ、世界的な日本包囲網のもと、日本は世界注視のなか崩壊するしか術を持たなくなる。

▼窮地に陥った日本では、少ない有志が集まって各界の日本の技術力を結集して、沈没を食い止める試みを行う。しかし世界から孤立しているため、独力できることは限れており、試みは敢え無く失敗する。

そして、

20xx年、日本沈没


こうなりえないと考えられる合理的な理屈があるなら、聞いてみたい。
日本人が誰にも愛され、尊ばれる、誇りを持てる民族であると、俺も確信したいから。

(了)