GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

アニメ:(前編)ゲド戦記(Tales From EarthSea)─2006年

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日本沈没』と同じ日に、無謀にも2本立てで見ようと実践し、その結果見た順番によって『ゲド戦記』はまったく心に残らない作品となってしまった。でも実際、その内容が素の心で見ても心に残った作品かというと、そうでもなかったように思う。今回は音楽もあまり耳に残らず、最初に見た『日本沈没』のサントラのほうがずっとよかった。個人的には、父・宮崎駿が『ナウシカ』で映画のメジャーデビューを果たしたことを考えれば、『ゲド戦記』は同じデビュー作品としては遠く及ばない。

本作のテーマには、“自分越え”“親父越え”があると思うのだが、吾郎監督自身の親父越えは、この初回作品では為されそうにない。国際的にも名作とされいている『ナウシカ』と比べるのはフェアじゃないかもしれないが、『ゲド』にあまり魅力を感じなかった点として、

まず、

スケールが小さい


ことが挙げられる。

日本ではメジャーになると好意的(商業的)にしか捉えず客観的な批評はあまり望めないと思うので国内ではなく海外ファンサイト大手(Nausicaa.Net)などで『ゲド』に関する情報を集めてみた。すると、そこのFAQを読んで『ゲド戦記』にかかった製作時間は1年に満たないわずか8か月だったということがわかった。同サイトによれば、これは『千と千尋』の半分だそうだ(『ハウルの動く城』は17か月かかったらしい)。

この制作期間の短さが、作品としてのスケールに影響したのは間違いないだろう。こうした伝記ものの作成には構想に時間をかける必要があるのに、今回はそれをする時間がなかった。その理由の一つとして、宮崎親子の間の確執があったことは、おそらく国内ではあまり知られていないのではないだろうか。この確執により、吾郎監督は製作にとりかかる時間を制約され、またリリース時期は決まっていたので実質わずか半年で基本的な製作作業を完了させなければならなかった。しかも、肝心の作品は原作の『Tales From EarthSea』の第三章が元になっているということだが、実際の第三話は“ゲド少年”の話であって“王子アレン”の話ではないらしい(これはパンフレットに書いてあった)。これもパンフレットに書いてあったのだが、実際は父・宮崎駿の『シュナの旅』の要素が多分に使われているらしく、結局のところ吾郎監督のオジリナリティーは製作の実作業でのみ発揮されているもので、“借り物”の作品での船出であった感が否めない。

重厚な題材、長いエピソードの数々をそぎ落とし1本の物語に。道しるべとなったのが、父の宮崎駿監督が約20年前に刊行し、原案となった「シュナの旅」だった。貧しい国の王子が黄金の穀物を探す話。「ゲド戦記を監督することに反対していた父は『ゲドをやるぐらいならシュナの旅をすればいい』と。そこでシュナの骨格を借りたらゲドを形作ることができると考えたんです」(吾郎監督)
毎日新聞 2006年8月2日 東京夕刊の記事より


こうして親子の確執と、親の威厳が強い障害になり、初回監督作品としては、父・駿が『ナウシカ』のときに得られた自由な製作環境とはうって変わって、息子・吾郎は常に父・駿監督の存在に圧倒され、助けられ、“自分の色”を出すことは作品中でしかできなかった。その製作、構想、原作からの脚色に至るまでの課程を父に支配されている作品なのだから、残念ながら俺は今回の作品を吾郎監督のデビュー作品としては認めることができない。

ジブリ作品のファンとしてなによりも許せないのは、ジブリらしくない粗末さ(スケールの曖昧さ)」の原因が、作り手である監督親子の確執によってもたらされたとしか思えないことだ。どんなに美麗な背景と、なめらかな動画と、独特な世界観というジブリ作品の三要素を備えていても、これは

借り物のジブリ作品だ。


しかし、まだ映画の内容自体に触れていないので次は内容に触れて純粋な感想を綴りたいと思う。しかし一言だけ、怒りを込めて宮崎駿監督に言いたい。

なぜ自分自身の手で『シュナの旅』の短編を作らなかったのだ?!



「後編」へつづく(但し後編はネタバレだらけなので注意