GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

平和:自分の平和思想の起源(前書き)

はじめに

子どもの頃まで立ち返ってみると、俺の平和思想の基礎は反戦的なアニメを見ていて育ったものと思える。俺は日本の歴史教育をほとんど受ける機会がなく、外国滞在中に日本の戦史を学んだ。小中のほとんどを海外で過ごし高校からは日本の教育と無縁になった俺にとって、日本の平和観を感じる機会は、日本人が作る作品の中に常にあったようだ。

小学校低学年の頃、俺は父の仕事の関係でアフリカの某国にいた。水不足が深刻になって政情が不安定になるまでの2年半をその国で過ごした。何もない国だった。

80年代初期だというのに現地のテレビはモノクロで、子どもの娯楽はといえばビー玉やガムのオマケの国旗カードでオリジナルな遊びを考案して広めたり、裸足で思い切り野原を駆け回ることだった。ただ、テレビでは、Star Blazersという名前で日本のアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を観ることが出来た。テレビではこれが唯一の娯楽だった。

まだ英語がうまくできなかった当時の俺には、馴染みの日本作品でも話の筋が追えないくらいテレビの英語は難しかった。そこで俺の母は俺や妹のために、東京の祖母に頼んでアニメのビデオを定期的に送ってもらうようにしてくれた。俺たちに兄妹はビデオが届くのをいつも心待ちにしていた。そのビデオの中に、最近またみはじめたアニメがあった。『宇宙戦艦ヤマトⅢ~太陽系の破滅』だった。現地のテレビでは第一作しかやってなかったので、物足りなかった。祖母のおかげで、俺は最新のアニメを遠いアフリカで観ることが出来たことを今でも感謝している。まして、その頃に見たアニメが今の自分の平和思想の起源となったと思えば、祖母には尊い経験をさせて貰ったという感謝の気持ちで一杯だ。

そのくらい、当時俺が観ていた作品はすべて、命や自然の尊さ、偉大さ、寛容さを教えてくれるもので、幼いながらも善悪や倫理について考えさせるものだったのだろう。最近『~太陽系の破滅』を再び見始めてから、俺の「平和について考え続ける」思考の起源がそこにあり、そこから発展していったのだということを確信した。いわゆるG世代と言われる俺たちの世代にはありがちなことだが、俺の平和思想の源は、全盛期の反戦アニメにあったのだ。

(通勤途中に執筆したのでここまで。本編につづく)