GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

平和:軍事を直視しない現代の国際関係論

国際関係の根底には軍事問題が常に存在し、
軍事問題は国際関係を律する大きな要素であり、
安全保障上の根幹である軍事の知識を
欠いた国際関係論は砂上の楼閣に過ぎない。

防衛大学校・防衛学研究会
防衛大学校・防衛学研究会 編
『軍事学入門』(かや書房、1999年)p.3より


実際に紛争処理活動に携わってきた実績のある、現場を知る伊勢崎賢治さんも、『平和を構築するために、まず「軍事」を直視せよ』マガジン九条)と言っておられる。軍事を学ぶ上で基本中の基本であるこの『軍事学入門』の前書きで、このような言葉が語られるのも当然のことだろう。しかし、この当然のことが、当然のこととして通らないのが、現在の日本である。

極端な現実否定は、極端な反発を呼ぶ。だが、日本で極端な平和主義の形である「絶対平和主義」を唱える、いわゆる理想主義者と呼ばれる人たちは、まず軍事を「国際関係を律する大きな要素」であるという現実を直視しようとせず、その強烈なアレルギーからあらゆる“軍事的”要素に観念的な嫌悪を示して思考停止状態に陥る。そのため思考の幅がきわめて狭く、類似する考えは広く受容するがその範疇を外れると判断するものについては常に排他的な姿勢を崩さない。

一方、「極端な現実否定」に極端に反発する「現実主義」を標榜する現実主義者たちは、頭の中でおおよそ、この本の前書きに書かれていることが「国際常識」なんだと理解しながらも、軍事が実際に現代の国際関係の中で占める比重や、変容する軍事観、進化する現代安全保障論などのもう一つの現実は理解せずに、反論として各々の「現実論」をぶつけてくる。だがそれが、実際に最新の事実の洞察に基づいた現実論ではなく、うわべの理解や旧い考えから導かれた時代錯誤の観念論(※1)であることには気付いていないし自覚もない。

伊勢崎氏のいう、民度という概念で捉えたときの「日本のそれが、軍事的なものに関してはあまりにも低すぎると感じたんですね。これは「右」も「左」も、どちらにも言えることだと思います」という言葉は、まさに現代日本人のこと平和についての精神的未発達度を的確に表しているといえるのかもしれない。

これら両極の考え方しかしない人たちには実は共通項がある。それは、論理の組み立てが「観念的」(※2)であることだ。観念論者同士がぶつかっても、そこに建設的な議論も、創造的な対話も生まれはしない。さして意味のない観念論の応酬や、揚げ足とりや、個人の人格の誹謗中傷に終始するだけで、枝葉の議論にすらなっていない。観念をぶつけあっているだけなのである。しかし、当人たちはそれに気付いておらず自分たちは「討論」あるいは「議論」している(論をたたかわせている)のだと考える。これが、日本の現状を憂いているという両極にいる人たちの民度である。日本で平和が真剣に議論されないのも、無理はない。

※1 かんねん‐ろん【観念論】クワン‥
(idealism) 物質に対して観念的なものの根源性を主張する立場。

※2 かんねん‐てき【観念的】クワン‥
〓観念に関すること。
〓現実を無視して抽象的・空想的に考えるさま。「―な論文」〓実践的。
広辞苑第5版より