GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

コラム:(上)日本の採るべき選択は二者択一なのか

テロ特措法をめぐって、国が割れている。国会だけでなく、メディアも、有識者も、一般市民も、それぞれ立場が割れている。そして文字通り、主張は二通りに割れており、継続するかしないか、しないならどうするのか、しない場合の悪影響は、しないことのメリットは、と国益重視の国際貢献論」が様々なチャンネルで叫ばれている。

そう、猫も杓子も国益重視である。

やれ、シーレーンを守らなければならない。⇒国益
やれ、情報の輪から外れたくない。⇒国益
やれ、日米安保を破棄されたらどうする。⇒国益
やれ、これだけ感謝されている。⇒国益
やれ、各国の大使たちが雁首そろえて嘆願に来た。⇒国益
やれ、血を流さないで済むし安上がりだ。⇒国益
やれ、戦争行為にかかわりたくない。⇒国益
やれ、民生支援だけで済ませばいい。⇒国益

その、便利で安上がりで感謝もされてシーレーンも守れるけれども戦争行為には関わらないで済む手間のかからないマルチメリットな「貢献」とやらが、実際の対象となる国(アフガニスタン)に対してじゃあどのような恩恵をもたらすのか、という視点がない。

・国際社会に実際にどのように貢献するのか⇒戦略
テロとの戦いに実際にどの程度貢献しているのか⇒評価
アフガニスタンは何を必要としているのか⇒分析
アフガニスタンの人々は何を望んでいるのか⇒調査
・その望みに対して日本はどう応えるのか⇒立案
・日本の「貢献」はニーズを満たしてきたのか⇒再評価
・日本にそのニーズを満たす能力はあるのか⇒検証
・能力がないなら何をすればよいのか⇒仕切り直し

などなど、そういった「貢献」の対象国のニーズ・ベースでの視点での議論を欠いたまま、国益貢献が叫ばれている。結局、欺瞞の数だけ、その裏の事実がある。

政治や外交力を駆使して「感謝」の言葉を言わせれば、それが国際社会の利益になっているからだと言い張る欺瞞。これでよいのか。

非常に、危険な様相だ。まるで国そのものが思考停止してしまったかのようだ。

その危険な様相に、火に油を注ぐかのような主張が加えられた。民主党・小沢代表のISAF国際治安支援部隊)参加論だ。国連決議の担保のない違憲な活動を続けるよりは、国連の授権のあるISAF=という多国籍軍に加わればよいではないか、という論法だ。これは小沢代表に言わせると、国連授権の集団安全保障上の軍事的行動は、たとえそれが明確な武力行使の伴う行為であっても、国権の発動ではないので合憲であるから、ということらしい。

この考え方に問題はないのか。

(つづく)