GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

コラム:(中)日本の採るべき選択は二者択一なのか

理には適っている国連参加合憲論

憲法論でいくと、一見、小沢代表の主張は理に適っているとも受け取れる。なぜなら、憲法九条を言葉通りに解釈すれば、その条文が禁止しているのは明確に「国権の発動による国際紛争の解決」すなわち従来の解釈での「国策としての戦争」を意味するからである。ここには、内閣法制局のいわゆる「政府解釈」が入る余地はない。憲法上の文言が明示的に示すことが、憲法の定めなのである。

さらに、国連憲章上の集団安全保障は、憲法が禁じているとされる集団的自衛権の行使には当たらない。

国連憲章では、個別的又は集団的自衛権の行使は、国家固有の権利としていついかなるときでも行使を認められているわけではない。その前段に、集団安全保障上の軍事的強制措置として平和及び安全の維持に必要な措置、すなわち国連軍が組織される「までの間」、という必要条件があるのである。これは、全加盟国に例外無く適用される規定である。つまり、国家固有の権利、自然権としての自衛権について、制約を設けた国連憲章に調印した加盟国には、自然権としての自衛権が制限されていることは既知の事実なのである。

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。
国際連合憲章第51条〔自衛権〕

ここで、憲法と同様に憲章も言葉通りに解釈すれば、軍事的強制措置すなわち憲章第7章の授権による国連軍が組織された暁には、個別的又は集団的自衛権の行使は停止されなければならないことになる。

アフガニスタンの場合

アフガニスタンのケースをこれに当てはめると、2001年10月に米英両軍による不朽の自由作戦が発動され、アフガン攻撃が行われたとき、この攻撃理由が、個別的及び集団的自衛権の行使であるということだった。つまりこの時点で、米英は国連憲章が認める限定的な自衛権の行使を行った。

ところが、自衛権行使から2カ月が経った2001年12月ボン合意が採択され、その2週間後には履行措置として国連安保理決議1386を採択。憲章7章下の軍事的強制措置として、多国籍有志軍ISAFが創設された。この時点で、自衛権の行使は停止されなければらなかった。だが、結局6年後の2007年の今になっても、OEFは活動を停止していない。その根拠は、カルザイ暫定政権、そして後継の正統政権により、OEFの活動が要請されているからだという。日本もこの要請に基づき、OEF-MIO(海上阻止行動)に参加している、というのが表向きの根拠となっている。そして、6年間、自衛権行使のOEFに付き合ってきた。

ISAF参加は違憲か合憲か、そんな問題なのか?

これだけ事実が出揃うと、ISAFとOEFの関係についてもだいぶ考えが整理されてくるだろう。国連決議授権の7章多国籍軍であるISAF国際治安支援部隊)に参加することは、憲法上「国権の発動による国際紛争の解決」=戦争行為には当たらないため、合憲となる。

一方、自衛権行使のもと実行されたOEF(不朽の自由作戦)は、ISAFの創設と同時にその効力を失うはずなのだが、カルザイ政権、すなわちホスト国からの要請で行動を容認されることから、もはや自衛権行使として認められなくても行動を継続できるようになっていることになる。ということは、OEFに関わることも、条件付きで合憲ということになる。まったくの違憲ではないのだ。但しこの場合は、ISAFとは逆で、OEFだけでなくOIF(イラクの自由作戦)にも加担していることになれば、戦争行為との一体化という面で違憲性が問題になる。

だが、これだけの分析を重ねても、憲法論議をしても、実はことの本質にはまったく近づいていない。この議論は、冒頭で挙げた以下のことにまったく答えていないからだ。すなわち、(A)海上阻止行動を支援するOEF-MIOは、あるいは(B)国連安保理決議の授権のある武力行使であるISAFは、

・国際社会に実際にどのように貢献するのか⇒戦略
テロとの戦いに実際にどの程度貢献しているのか⇒評価
アフガニスタンは何を必要としているのか⇒分析
アフガニスタンの人々は何を望んでいるのか⇒調査
・その望みに対して日本はどう応えるのか⇒立案
・日本の「貢献」はニーズを満たしてきたのか⇒再評価
・日本にそのニーズを満たす能力はあるのか⇒検証
・能力がないなら何をすればよいのか⇒仕切り直し

この答えは(A)か(B)かの二者択一で出せるものではない。なぜか。

それは、ことの本質が法的根拠や合憲性の問題ではなく、ISAFやOEFの実態にあるからである。要は、ISAFやOEFがこれまで上記8つの問いに答えられるだけの働きをしてきたかどうかなのである。そしてその答えは、「NO」だ。なぜか。

(つづく)