GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

コラム:(下)日本の採るべき選択は二者択一なのか

問題はOEFとISAFの実態にある

それは、OEFとISAFの現場でのオペレーションが、ほぼ一体化しているからである。このとき、OEF「が」ISAFと一体化しているのであれば、ISAFのマンデートのままOEFがISAFのコントロール下で働くのだから、「まだまし」といえる。しかし実際は、OEFの武力行使の部分「を」ISAF「が」そのまま吸収しただけで、ISAFがOEFの任務を帯びてしまっているのが実情だ。

今年3月にISAFに関するレポートを作成したシンクタンク英米安全保障情報委員会(BASIC)はそのレポート『Assessing ISAF』(ISAFの検証)の中で、2006年だけで、アフガン全土で4,000人のアフガン人が戦闘により死亡したと報告している。そのうち1,000人が文民で、ほとんどが空爆によるコラテラル・ダメージ(付随的被害)に拠るものであるとも報告している。残りの3,000人は反政府武装勢力だとされている。この空爆を行っているのは、OEFなのではないかと思ったら、これが違った。

ISAFは現在、総兵力約35,000を誇る大部隊へと成長している。一方でOEFは減少傾向にあり、昨年16,000だった部隊が現在はその半分にまで減少しており、むしろISAF-PRT部隊に対する憎しみの連鎖は日増しに増えていっている。その憎しみがそのまま、ISAF-PRT隊員の犠牲に数の増加に現れている。では、8,000の兵は動員解除されて本国へ帰還したのか、というと違う。この8,000の兵は、そのままISAFに移管されている。さらに、最も激しい戦闘が行われているヘルマンド州は、いまや総兵力がOEFを上回るISAFが本拠としている地域なのである。つまり、その地域で起きる軍事作戦の責任は全てISAFにある。空爆もである。

ISAFへの兵站支援という選択肢

仮に日本が現在のISAFに、単純な後方支援という形でも兵站支援を行うとする。これは、安保理の決議やマンデートとは関係なく、その実際の行動により戦争行為への加担となる。しかも、支援すべきアフガンの人々の生命を脅かす責任も負うことになる。そうなれば、アフガンでかつて旧国軍のDDR(武装解除・動員解除・社会復帰)に成功した伊勢崎賢治氏の言う日本に対する『美しい誤解』は完全に崩壊し、邦人はテロや拉致の標的となる。日本の兵站支援を受けて空爆を行ったISAFに対する憎しみを募らせる遺族は次々にタリバンへとリクルートされてゆき、日本を標的にテロを行うことになる。「敵を討つなら補給路を断て」とは兵法の常道ではなかったか。つまり、ISAFに参加することで、全ての邦人を危険にさらすことになる。

ISAF-PRTでの民生支援という選択肢

では、兵站支援ではなく、小沢代表が表明したISAFを介した民生支援ならどうか。つまりPRT(地方復興支援チーム)への参加を示唆しているのだろうが、これも甘い。

ここ1年のところ、最も激しい攻撃の対象になっているのが、このISAF-PRTである。とくにこれまで住民に好意的に見られてきたカナダやイギリスのPRTが標的となってきている。最早彼らの前には『醜い現実』しかないようだ。勿論、住民にも決して快く受け入れられていない。カルザイ大統領すら、公の場で「いい加減にしろ!」と罵声を浴びせたほどである。むしろ、タリバン改宗者を増やすに至っているのが実情だ。

つまり、PRTだろうと、ISAFコンポーネントで活動する限りは、参加する部隊はいうに及ばず、一般邦人にも類が及ぶ危険性があるのだ。そうなれば今日本が細々とJICAやNGOを通じて実施している小規模の民生支援など、文字通り“吹っ飛んで”しまう。

給油を選ばずにISAFを選ぶのならば、こういう結果になる可能性がある。それも辞さずに「油をばら撒くのではなく血を流せ」というのであれば、もはや言語道断である。

こんなことが、アフガンの人々にとって何の役に立つ?
前述の6件に課題に対する答えになっているのか?

二者択一の問題なんかではない。アフガンの人々のニーズの問題なのだ。

それこそが、国際貢献と呼べるマインドセットではないだろうか。国際とは当然、二国間という概念も包含するのである。「貢献」の対象国であるアフガンのことを考えない「国際貢献」など、なんの実体もない貢献なのだ。先進国がどんなにこぞって日本の活動を評価しても、である。社交辞令よりもタチの悪い仕組まれた「お礼」など、意味のなさを通り越して「恥」の領域に踏み入っている。

日本ならではの平和貢献

では日本ができる真のアフガンへの「貢献」とは何なのか。真の対テロ戦への国際貢献とは何なのか。それは、武力行使という一端を支援することではなく、その対である平和構築を支援すること、すなわち平和貢献ではないだろうか。その具体的な構想は、6つの課題に答えていけばおのずと形作られる。すなわち、

実際に「国際的に」貢献し、テロとの戦いに貢献し、アフガニスタンのニーズに応え、アフガニスタンの人々のニーズに応えることを、これまで果たしてやってきたのか、やってこなかったのなら何ができるのか、その能力は日本にあるのか、ないならどうすればよいのか

これを頭を突き合わせて答えを出すのである。

100点の答えなどない。だが、win-winを実現するのに100点である必要はない。要は問題のステークホルダーであるアフガン、国際社会、そして日本の利益のバランスがwin-winになればいいのである。いま日本は、英知を以ってこのwin-winソリューションをひねり出す岐路に立っている。最早、中途半端な自己満足的な「貢献」に甘んじることなど許されない。

そのソリューションのヒントが、意外にもアフガン人ではなくISAF側からもたらされている。Radio Free Europe(RFE)の今月10日の記事によれば、ヘルマンド州のISAF部隊のスポークスマンであるリチャード・イートン中佐(Lt. Colonel Richard Eaton)はこのように述べている。

"It will need a political settlement involving all sides."

つまり、「あらゆる紛争当事者を含んだ政治的な和解が必要」だということだ。

最早、どっちに転んでも武力行使にしかならない二つの選択肢(OEF継続かISAF参加か)に税金を無駄遣いする算段をしている場合ではない。みみっちい国益なんぞよりもはるかに大きなものが懸かっているのである。それは、日本の未来を左右するものである。それに今、気付けないのなら、きっとこの国は永遠に気付かないだろう。

(了)