GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

映画:チャーリー・ウィルソンズ・ウォー(2007年)

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911以前、「アフガン戦争」といえば、旧ソ連の侵攻によって始まった戦争を意味した。ハリウッドで映画化もされ、90年代の世界は「アフガン戦争」とは冷戦下で行われている米ソの代理戦争(熱線)だったと理解していた。そのことは911以後も語り継がれ、かつてアメリカが支援し育てたムジャーヒディーン(聖戦士)たちがアメリカに反旗を翻していると、その皮肉が語り草となった。なぜアメリカが支援した者たちが、アメリカを攻撃したのか、アメリカの人々には理解し難かっただろう。そしてかつて支援した者たちが牙を剥いたとき、アメリカもまたその大鉈を振るってアフガンに侵攻(2001年)した理由が、そしてそのことを未だに多くのアメリカ人が支持する理由が、この映画を見るとわかってくる。

アメリカは常に正しい(善なる)者の味方です!」

映画中のある人物(チャーリーではない)が80年代当時のパキスタンの難民キャンプで発したこの台詞が、アメリカの純粋さと、純粋なゆえの短慮さを示しているといえるかもしれない。昨日から日本全国で封切られた米映画、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』は、そんな純粋さのゆえに、短慮に1人で冷戦を熱戦に変えてしまったアメリカの実在の政治家の話である。つまり、現代の人々が知る「もう一つのアフガン戦争」終結の立役者である。

911勃発後、アメリカのアフガン侵攻に反対する人々(俺も含めて)は、アメリカ(CIA)がオサマ・ビン・ラディンをはじめとする当時のムジャーヒーディーンらに武器弾薬を調達して支援していたのだから、そうしてアメリカに育てられた人間がアメリカに牙を剥くのはアメリカの自己責任だと冷たく切り捨てていた。しかし2001年当時、俺たちは知らなかった。アメリカは国家の戦略として旧ソのアフガン侵攻(1979~1989年)を阻止したのではなく、少数の愛国者たちによってそれが実行されていたということに。無理もなかった。この映画の原作が世に現れたのが2003年。日本に伝わったのはさらに1年後の2004年だった。アメリカが行った冷戦下の代理戦争を肯定する材料など、受け入れる余地がなかったのだ。この少数の先陣を切っていたのが、当時テキサス選出のいち合衆国下院議員だったチャールズ・ウィルソン(Charles Nesbitt Wilson)その人だったのだ。

原作を読んでいない人の為、チャーリーがどのようにムジャーヒディーン支援の裏工作を実現したかは、映画を見ての楽しみにとっておくことにする。ただ唯一ハッキリしているのは、チャーリーがこの裏工作を実現したからこそ、旧ソはアフガン撤退を余儀なくされ、アフガンの人々はアメリカのおかげで、束の間の平和を味わったということだ。それは、かつてのムジャーヒディーンたちが袂を分かち内戦に突入し、タリバン政権が誕生するまで(1995年~2001年)の束の間の平和だった。アメリカのごく少数の志あるものが、中央アジアの小国を超大国の侵攻から守り切ったのである。本来なら、民主主義の盟主として喧伝してもいいような話だ。しかしアメリカはこれを国策としては認めず、あくまでチャーリーとCIA、国務省の一部の人間が実行した隠密作戦(covert opsだったということにしている。なぜだろうか。

映画評論家の町山氏が映画のパンフレットで使っている言葉がしっくりきた。「万能感」である。

911以後、アメリカではこの「万能感」の喪失が起きていたのではないか。だから過去の功績についても、この映画が出ても声高には叫ばないでいる。なぜなら、911という「結果」が「功績」を否定しているからだ。当のチャーリー・ウィルソンも、911以後、イラク戦争に連なる一連の動きには反対し続けたという。自らの「正しさ(善さ)」を史上最悪のテロによって否定されたアメリカは、もはや自分の正義を信じられなくなっていたのだろうか。

この映画は俺に新しい視点を与えてくれた。それは、アメリカの世界戦略だのブッシュ政権の陰謀だのと、そういうマクロな視点でばかりこのことを見つめるのではなく、アメリカの国民一人一人が、そしてその国民の一人として政治家たちが、軍人たちがどのように感じていたのかを、マイクロな視点で見つめる機会だ。この映画を見て、もう少し「生身のアメリカ」という国がわかってきた気がする。国を動かすのは、所詮「ひと」なのだ。