GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

言霊:議論に勝つ方法


「勝つ」ことではなく「昇華」を

議論に勝つ方法はただ一つ。
それを避けることだ。

議論は、そのほとんどが
双方に自説がますます正しいと
確信させて終わるものだ。

議論に勝つことは不可能だ。
負ければ負けであるし、
たとえ勝ったにしても
やはり負けているのだ。

なぜならば、仮に相手をやっつけても
やられた方は劣等感を持ち、
自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。

デール・カーネギー

作・画 田中誠
講談社週刊モーニング
『ボクラハナカヨシ』
言い訳32「平和の極意?」より



もう10年以上、ネットの掲示板やチャット、そしてリアルで“議論”してきた。
いつしか議論することの目的は、相手を打ち負かす(論破する)ことではなく、
議論の発展(昇華)を求めることになってきた。

ところが、これは独りよがりでは成立しない。

いかに自分が議論の「昇華」を求めていても、
相手は「論破」しようと、あるいは「論破」されまいと構え
全力で向かってくる。そうなると、こちらも迎え撃つしかない

しかし作中で、カーネギーはこうも引用されている。

人生はまさにブーメランだ。
人に与えたものは手元に返ってくる。

ならば、相手が論破しようと敵愾心を剥き出しにしても、
それに対して誠意で接したらどうなるか。必ず返ってくるか?
といえば、そうでもない。というより、ほとんど返ってこない。

それは、期待してはだめなのだ。果報は寝て待て。
善行はいつかは報われるが、自分の望む時とはかぎらない。

ケンカも、同じ。

勝つことが目的のケンカでは、勝ちにいけばいい。
しかし、分かり合いたいからするケンカは、どうだろう。
勝てばよいわけではないし、負けるのもしゃくに障る。
が、「負けるか勝ち」という発想で、そしてカーネギー
考えを応用して、臨んでみたらどうなるだろうか。

きっと、相手の信頼を得られるだろう。
そうして得た平和は、きっと得難いものとなるだろう。

そしたら、平和を大切に思うようになる。
平和を維持したいと思うようになる。
そのために工夫するようになる。

男女の関係もそう、交友関係もそう。上下関係すらそう。そして・・・
国家関係もそう
外交だって、人と人の営み。最終的には人同士の信頼感に行き着く。

協議(議論)するときの目的は、国益を実現(論破)することにある。
あからさまにそれを求めては、相手も国益を守るため論破を目指す。
ではあからさまでなければいいのか、といえば外交はほとんど
あからまさまでない形で相手に国益を受け入れさせる形をとる。
でも、相手も構えてるし、論破されまいと必死になる。

では、外交において協議(議論)の発展(昇華)を求めるとは、どういうことか。
それはつまり、WIN-WINの関係を目指すということ。ほら、外交にも適用できる。

WIN-WINを目指す関係というのは、つまり互いが平和を望んでいるということ。

一方を打ち負かしたいと考えていれば、この関係は成立しない。
また一方を劣等だとか、下に見ていては、相手の尊敬も信頼も得られない。

さて、「議論に勝つ方法はそれを避けること」カーネギーはいうが
では国家間の場合、これはどういう意味になるのだろうか。

少し考えてみたくなった。

(了)