GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

特別転載:日本はなぜ世界平和に貢献すべきなのか

最近、憲法論議を深めるために公私両方の立場で参加している掲示板で、日本のとるべき道について次のような問いかけがなされた。

日本は、国際社会の中で世界平和に貢献すべきなのでしょうか。
戦争が起きない様に各国に訴えていくべきなのでしょうか。

以下は、その問いかけに答えて精一杯の私見を述べてみたものである。
(※転載版では誤字脱字などの加筆修正が一部行われています)

私は、これまで“自称”平和立国であるはずの日本は、憲法の前文および憲法九条に掲げる理念や原則に則らず(護らずという意味ではありません)、十分に国際平和の構築に主体的に関わってきたとは思っていません。ゆえに、より積極的かつ主体的に関わるべきだと思います。その理由は二つあります。

■理由1:信頼の獲得と国際影響力の拡大

一つは、日本が旧大戦では加害国グループの一員として扱われ、断罪され、一度は主権を失ったほどの苦渋を舐め、著しく国際的な信頼を失ったということ。日本はこの信頼と国家としての尊厳(主権)を、被害国の多くの恩赦という形で原状回復しました。むろん、それは無償で与えられた恩赦ではなく、円借款やODAなどの無償支援という形に姿を変え、補償し続けてきたことによって得られた恩赦です。

戦後、世界は戦争の爪跡から復興するにつれ豊かさを求めるようなりました。かつて日本の植民地だった国や、占領された国々は徐々に力をつけていきました。しかし、日本の円借款やODAは依然として必要として譲らず、未だにその恩恵を受け続けています。このことについて、国内では不満が蓄積し「もういいだろう」という声が大きくなってきました。こうした国民の不安は政府の政策にも反映され、現在ODA予算は過去最低水準にまで陥っています。と、同時に、実は日本のODA政策によるメリットというものも失われてきています。それは、ODA外交を通じた日本の国際影響力の維持です。こうした傾向には、歯止めをかける必要があります。しかし、いたずらに血税を浪費して他国の経済発展に寄与し続けるというのも愚策です。そこで、発想の転換が必要になります。

国際的な信頼を獲得しつつ、国際影響力の拡大を図る。さらに、国内経済、国民の生活への負担は最小限に抑える。少ないインプットで最大のアウトプットを出す。これが外交の王道です。

つまりは国益を優先してその目的のために信頼を醸成し、国際影響力の拡大を図ることを一つの柱とします。こうした考え方の一部は、麻生外務大臣が現在提唱している「自由と繁栄の弧」構想に始まる価値観外交に形となって現れてきています。しかし、まだまだ十分ではありませんし、「自由と繁栄の弧」では、今後日本の国益上、最重要となるアフリカ諸国が含まれないことで問題が残ります。

■理由2:国際公約としての平和憲法の履行とその精神の実践

二つ目の理由は、日本の現体制を支えている平和憲法が、ポツダム宣言の受諾を経て国際公約履行のための法的措置として実施されたという歴史的経緯があることと、その根幹にある平和主義の思想は、ジャパン・オリジナルだということ。つまり、平和憲法、戦後日本は二度と戦争はしてはならないし、まず発展を目指さなければならないという、ときの為政者の堅い信念のもと形作られた日本人の精神、魂なのだということを踏まえなけれならない。思い出さなければならないということです。

一つ目の理由で挙げたように、日本は大戦後の世界で国際社会に受け容れられるために、カネによる解決を図ってきました。しかしこのやり方は、高度な資本主義社会では相手を利することはあっても、際限のない要求にもつながり、日本はまるでサラ金地獄のようにカネが入っては出し入っては出しを繰り返してきました。これは、日本の国益になりません。また、カネにによる解決という安易な方法では、国際的な信頼を得るには至らず、むしろ金ヅルあるいは国際金庫番としてのイメージのほうが定着してしまいました。皮肉にも、かつて高度経済成長時代に「エコノミックアニマル」といわれた日本人が成した財の恩恵を受けている国々に、日本は依然としてリスペクトを得られず単なるATMだと思われてしまっているのです。

そのひとつの結果が、安保理常任理事国入りにおける、各国の日本に対する圧倒的に足りない支持表明の形で現れました。まだまだ、日本は十分信頼を回復していないのです。それはなぜか、国際公約としての平和憲法の履行というものを、実際に形あるものとして国際社会に提示していないからです。つまり、国際平和と安全の維持、平和構築に対する積極的な貢献です。日本が自信を持ってこれを実践していれば、カネによる解決に頼らずとも、日本の平和構築に対する積極的なイメージを前面に出すことで現在のような実体のない国としてでなく、名・実・ともに平和立国であることをアピールできたでしょう。しかし、日本はそれをしてこなかった。それは、九条があったからであはりません。日本に戦略がなかった。それだけのシビアな平和思想が日本に根付いていなかったからです。

■結論:理念・理想から実践へ

日本は今こそ、戦後62年にわたって日本の繁栄と発展を支えてきた平和憲法の精神に立ち返り、これをさらに強化・推進する覚悟をもつべきなのです。それは、かつてどの国も経験したことのない惨禍を経験し、核の脅威に触れ、主権とともに尊厳や誇りをも一度に失ってしまうほどの大打撃を受けた戦争を、二度と繰り返してはならない。二度と試みてはならない。そして二度と、人間として、他の国に同様のことをさせてはならないという、平和主義の理念に基づいて、国際平和を推進する義務があるのです。それは、日本国民が自ら民主的に選択した首班によって決められた日本人の総意を掘り起こすことにほかなりません。しかしこの実践は、非常な困難を伴います。行動なき理想など、誰も信じず、受け容れもしないからです。

そこで、まず日本がすべきことは、自らが実践すべき平和主義の姿をあらためて模索し、国民の総意として合意し、体系化して、これを世界に提示することです。私はそのための腹案を常々、この掲示板や他のトピで訴えていますが、とにかく具体的に動き、有無を言わせない信頼を獲得すること。そして、自らが己の理念をただ訴えるだけでなく実践しているという自負と自信を持つこと。これが、今の日本には必要な姿勢なのではないかと、私は考えます。日本は平和を「訴える」ことができるようになるのは、その後でしょう。これまで、日本はこの順序を間違えてきました。それを、正すべきです。

以上、ご精読ありがとうございました。