Twitlog:読書メモ 『日本を棄てた日本人』(草思社)を読んで〔後編〕2
R女史(四十代前半?女性)の場合
R女史が初めて英語と接したのは小学3年生の時、俺とほぼ同じだ。父親に買って貰った英和辞典を頼りに、独学で単語を学んでいったという。当時の感覚では、英語を話す国=アメリカと感じていて、大人になったらとにかくアメリカに行くことを子どもの頃から決めたという。
そして中学卒業と同時に単身渡米する。
そして中学卒業と同時に単身渡米する。
本来は留学に乗り気でなかった彼女の両親は1年程度の留学で済ませられるよう、彼女が渡米して2年が経過した時点で仕送りをストップするという作戦に出た。ところが、これがまったくの思惑はずれに終わる。
高校生になっていたR女史は、ホームステイ先で家事を頑張って、その代わりに学校に行かせてもらったのだ。
「根性で頑張ったんですね」と努力を称える著者に、R女史はこう答えた。
高校生になっていたR女史は、ホームステイ先で家事を頑張って、その代わりに学校に行かせてもらったのだ。
「根性で頑張ったんですね」と努力を称える著者に、R女史はこう答えた。
「私たちの時代には、日本人の留学生というと、みんな根性で頑張っていましたよ。だって、あの当時は円がすごく安くて、アメリカでの生活費を何年も仕送りできる親っていうのはあまりいなかったんですもの。生活費は働いて稼ぎながら、睡眠時間を削って勉強して、そうやってみんなちゃんと大学へ通ってましたよ」
丁度このインタビューが行われている89年頃、俺はフロリダの高校に留学していた。この本を読んだのは、おそらく大学卒業間近だった95年の頃だと思う。90年代当時の学生生活を振り返っても、自分を含めて日本の留学生は頑張っていたと思う。
就学ビザなら、校内の制度で働くこともできるが、競争率が高くてなかなかとれない。大抵は現地アメリカ人に仕事が割り当てられる。だから最低賃金で日本食屋で働くことになる。そうやって、ケンブリッジの日本食屋やスーパーで働いてた人は少なくなかった。みんな頑張っていた。
就学ビザなら、校内の制度で働くこともできるが、競争率が高くてなかなかとれない。大抵は現地アメリカ人に仕事が割り当てられる。だから最低賃金で日本食屋で働くことになる。そうやって、ケンブリッジの日本食屋やスーパーで働いてた人は少なくなかった。みんな頑張っていた。
親に負担がかかっていたのは承知だったからだ。
著者は、R女史が学生時代を過ごした当時(60年代)、アメリカと日本の間には依然として大きな差があったという。それは豊かさや文化、意識など全てにおいてアメリカが凌駕しているという現実だった。ところが90年代に入ると日米間の落差はほとんどなくなり、留学生の間ではいつでも日本に帰れるという甘えが生じた。
インタビューを受けた90年代当時、R女史はいまはコリアンの若者に根性があるという。
「いまの時代は、コリアンの若者に根性がありますね。モーテルで夜通し受付けの仕事をして、朝になったらそのまま大学に行くってことも平気してますもの。いまの日本人の学生にはそこまではできないでしょう?その意味ではコリアンはむかしの日本人に似てますよ」
西海岸はどうだかしらんが東海岸、とくに俺の留学したボストンのコリアン学生はそうでもなかったぞ。それどころか一度も働かずに卒業したんじゃないか、という疑惑すらある。だがまあ個人的な疑問は横に置いて読み進めた。
そういえば在学中付き合ったコリアンの子は大学院の研究室で働いていた。
――というどうでもいいことはさておき、R女史はこう言ったあと、アメリカで成功するという意味のシビアな現実を突きつける。
――というどうでもいいことはさておき、R女史はこう言ったあと、アメリカで成功するという意味のシビアな現実を突きつける。
「でもね、コリアンにしても日本人にしても、いまアメリカにやってくる人はかわいそうだって思うことがあるんですよ。だっていま[90年代]のアメリカは、私がしたような根性でがんばって資格なんかを取ったとしても、成功する保証はないんですもの」
R女史は大学では美術を専攻し、将来は画家になりたいと思っていた。卒業後もその夢を捨てずにいたが、24歳のときにツアコンとして働かないかとお誘いが来て、それから8年間をツアコンとして務める。このとき32歳。しかしこの仕事もマンネリ化し、彼女はとうとう自分で旅行会社を立ち上げた。
こうして自らビジネスをはじめたR女史は、日米のビジネス習慣の違いに悩まされることになる。それは、日本では「信用が第一」だが、アメリカでは「契約不履行なら告訴すればいい」という考え方をするという違い。つまり、アメリカ人は、「任された仕事は個人の責任で仕上げなくてはならない」とは、あまり考えないというのだ。
こうして自らビジネスをはじめたR女史は、日米のビジネス習慣の違いに悩まされることになる。それは、日本では「信用が第一」だが、アメリカでは「契約不履行なら告訴すればいい」という考え方をするという違い。つまり、アメリカ人は、「任された仕事は個人の責任で仕上げなくてはならない」とは、あまり考えないというのだ。
ちょっとこれは極端ではないかと思ったが、実際にこうしたビジネスに関わったことはないのでわからない。読者の中で「そんなことはない」と思う人がいれば是非声を挙げてほしい。R女史は、アメリカ人の間では「責任感という言葉は重要じゃない」と言い切るが、果たしてそうだろうか?
しかしここで著者が「どちらのやり方がいいですか」と聞いたときのR女史の回答がふるっている。「アメリカ式のほうがずっと気楽で、やりやすいですよ」と言うのだ!
だが、これにはちゃんと彼女なりの理由があった。
「だって、信用されるってことはたいへんな圧迫ですもの。たとえば、日本の業者とアメリカの業者の間に入って、片方が『信用します』、もう片方が『トラブルが生じたら告訴してくれ』という調子だったら、間に入る者としては信用されても困るわけなんです」
うーむ、実業家ならではのリアルな悩みだ・・・。
アメリカ人に「日本人は一度失った信用は戻らない。信用は金に換えられないって考える人たちだ」と説明しても、なかなか理解してもらえないそうだ。だがこれって現代でもリアリティのある話なんだろうか。業種によっては万国共通で『信用第一』になってもおかしくないと思うが。とくに銀行業など。
しかし、こうした経営者ならではの人知れぬ苦労を生き甲斐と感じているパワーを、著者は彼女から感じ取る。ただ不思議なことに、その姿勢はカリフォルニア的というよりは、むしろ日本的に思えたと言う。
R女史は日本に15年、アメリカに25年住んだことになるが、「彼女の精神は根幹の部分で日本人のままなのである」と著者は結ぶ。そして、彼女にこう尋ねてみた。
「Rさんの目には日本はどんな国に映っていますか」と。
この答がまた意外なのである。
R女史は日本に15年、アメリカに25年住んだことになるが、「彼女の精神は根幹の部分で日本人のままなのである」と著者は結ぶ。そして、彼女にこう尋ねてみた。
「Rさんの目には日本はどんな国に映っていますか」と。
この答がまた意外なのである。
「私を強い人間に教育してくれた国です。感謝してます」
と、断固とした口調で言い切ったのだ。
彼女に言わせれば、むかしの日本の教育は「標語」の読み上げなどを通じていまの彼女を支える価値観を与えたくれたというのだ。
ここで、95年当時に俺がアンダーラインを引いた箇所がある。
それは、次の彼女の言葉だった。
彼女に言わせれば、むかしの日本の教育は「標語」の読み上げなどを通じていまの彼女を支える価値観を与えたくれたというのだ。
ここで、95年当時に俺がアンダーラインを引いた箇所がある。
それは、次の彼女の言葉だった。
「日本という国は、あるい特定の価値観を持った国で、それがみんなをバラバラにしない力になっていると思います」
R女史は、アメリカの場合は『勉強しなさい』というモラルすら学校では教えないが、日本の学校の『みんなで勉強しよう』という姿勢はとてもいいものだと思うという。なぜなら、そのおかげで多くの生徒が落ちこぼれずに、「そこそこやっていけるから」だという。本当にそうなんだろうか。
著者はここで俺の言葉を代弁するかのように的確な質問をぶつける。
「でも日本はお互いを監視しあっている国で、息苦しいからアメリカに来たという人も多いんですが」
これに対するR女史の回答に、現代の俺はまたアンダーラインを引いた。
いちいち含蓄のある人だ。
いちいち含蓄のある人だ。
「監視されてるおかげで、人は何とか道を踏み外さずにやっていけるんです。もしアメリカにもお互いを監視する文化があったら、浮浪者を非難の目で見るだろうし、『浮浪者の中に入ることは恥ずかしいことだ』という意識も生まれて、人は働くようになるんです」
さらに彼女は続ける。
そして、最後にこうピシャリ――
「監視される社会がいやで出てくるって?それはぜいたくというものよ」
こうなると、著者を応援したくなってくる。
「でも日本では、たとえば、女の人は25歳になると結婚しろって周囲から言われますよね。生き方の枠が決められてしまってて、自分の人生が自分のものじゃなくなってるという不満をよく聞くんですけど」
しかしここでも彼女は明確な答を返す。
「周囲が自分の面倒を見てくれる――これはとってもいいことじゃないの?アメリカでは、誰も面倒を見てくれないから、何をしていいかわからないままに大勢の人が落ちこぼれてしまうのよ。だいたい自分の力で人生を切り開いていける人って、世の中にどれだけいると思います?日本の社会はやっぱりとてもよくできてるのよ」
こう話すR女史について、著者は独自の観察をこう記す。
「Rさんはアメリカに25年も住んでいる人である。したがって、この国の欠点はいやになるほど見てきているにちがいない。一方、彼女にとって日本はしだいに遠ざかっていく国であり、そこで起きている出来事は現実感を欠いていく。彼女の日本を見る目はその分だけ観念的になり、アメリカ社会との比較の中で美化されていくことになったのだろう」と。
R女史に対する著者のこの総評は、正直俺には受け入れにくかった。仮にアメリカの欠点を見てきているとしても、ビジネスを通じて日本社会との接点はまだ彼女にはある筈。その中で、日本の「良さ」を改めて実感しているのならば、その評価は快く受け入れればいいのにと思ったのだ。
(後編3へ続く)
(実はリアルタイムでツイート進行中)