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推論:「侵略の定義」発言を巡るワシントンポスト紙の社説と対する反論の真相

「戦前の大帝国のノスタルジアに浸るようでは、国内の改革を推し進める力も、疑り深い周辺国を納得させる力もすべて、これを前にかすんでしまう。」

4/27付ワシントンポスト社説『歴史を直視できない日本の安倍晋三』(仮訳)より

ワシントンポスト紙が与えた安倍政権への“評価”

ワシントンポスト紙(以下、WP紙)の社説が出されてからというもの、各紙一斉にWP紙が安倍総理を「歴史に向き合えない総理」として"批判した”として報じているが、一方で、同紙が総理を評価している点については、ほとんど言及がない。だが、同紙は批判一辺倒で社説を出した訳ではない。

改めて社説記事を全訳して見てわかったことだが、WP紙は批判するだけでなく、讃えるべきは讃え、また安倍総理の行動の中に合理性を見る点についても明確に評価している。WP紙が批判しているのは、それら功績や合理性が、「歴史を直視できないこと」により”かすんでしまっている”ということなのだ。

また安倍総理への「評価」の中でWP紙が言及していることにも注目が必要だ。

まず、同紙は次のように、安倍総理の大胆な①金融改革を評価している。

安倍氏は瀕死の日本経済を改革するために様々な大胆な取り組みを行った。

次に、②TPPへの参加を決めたことを評価している。

コメ農家などの強力な利益団体をものともせず、日本経済の活力となり得る米国その他太平洋諸国との自由貿易協定への参加を決めた。

さらに、③防衛費の増額を性急に行わなかったことも評価している。

また、防衛費の増額という妥当な要求についても慎重な姿勢を崩さなかった。

WP紙の「評価」は実はまだ続く。

WP紙は後半の結びの前に、安倍総理が行おうとしている④自衛隊の"近代化”の合理性と、連合軍に⑤"押し付けられた”平和憲法が集団的自衛に対応していない点について総理が疑問を呈している合理性を評価している。

中国や北朝鮮の国防費の増額やその強硬姿勢を前に、安倍氏自衛隊の近代化を目指すのはもっともなことであるし、大戦後、アメリカの占領軍により押し付けられた“自衛”憲法が、同盟国に対する十分な支援を供与できるかという点に疑問を呈するのも、もっともである。

冒頭で紹介した同紙の安倍氏に対する以下の批判のフレーズはこの後にくる。

しかし、未だ多くの有権者が懐疑的である中にあって、戦前の大帝国のノスタルジアに浸るようでは、国内の改革を推し進める力も、疑り深い周辺国を納得させる力もすべて、これを前にかすんでしまう。

つまり、WP紙は「批判」しているのではなく、「エールを贈っている」のである。

WP紙はその「批判的」とされる社説で、安倍総理の行ってきたほとんどの政策や行動を支持し評価している。その上で、「だが」歴史修正主義的傾向が「惜しい」。「それさえなければ」という評価をしているのである。つまり、「安倍政権は米側の意向に”ほぼ満点”で従っている」と暗に褒めちぎっているのである。

一見、的外れな佐々江駐米大使による「評価に対する反論」

4/30付ワシントンポスト社説に対する佐々江駐米大使の反論(仮訳)

さて、安倍総理への「批判」社説が実は「評価」だったと仮定すると、佐々江駐米大使が行ったこの反論寄稿は、いよいよ的外れということになる。佐々江大使はその反論を「歴史を直視できないこと」その一点に絞った。その他、WP紙が「評価」した点には一切触れていない。つまり、言ってみればWP紙がくれた「ほぼ満点」の答案について異議を申し立て「ほら、満点じゃないか」と突き返したのも同じことになる。

「ほぼ満点だった」ものが「実は満点だった」ことで得をするのは誰か。という、陰謀論のセオリーで考えていくと、実はこの国際的な「評価」と「確認」の応酬によって一番得をするのは安倍総理だ。日本のマスコミは表層しか捉えず、また同胞の大使の反論について全訳掲載すらしていない。だが、4/27付のWP紙の社説に対し、わずか3日でスピード対応し、4/30付のWP紙に寄稿記事の掲載を果たした佐々江駐米大使の対応は、何かと海外批判対応が遅い日本の官僚機構にしては機敏すぎる。またWP紙側の対応もスムーズすぎる。このことに誰も疑問を抱かないのだろうか。

以下は全て私の個人的推察に過ぎないが、表面的に「批判」に見える米紙の社説が実は「評価」で、関係者の間ではそれが分かっていると仮定した場合、総理の国外での評価はアメリカに認められた日本の指導者」となる。

一方、日本では米紙の批判に敢然と立ち向かう部下(しかも元外務事務次官で省内スキャンダル後初めて駐米大使への就任を果たしたほどの実力者)がいるほど安倍氏の政権内の支持は堅い」という印象になる。少なくとも佐々江氏の「反論」が」政界に贈ったメッセージは強烈だろう。

さらに、一般的な効果の側面もある。


一般は今回の一連の出来事を、米紙の批判にもめげない安倍政権として頼もしさを感じることだろう。無論、一部左派勢力は浮き足立つだろうが、実際は「批判」でないのだとしたら、単に踊らされただけということになる。

実像は、国内外において安倍政権への支持は盤石ということなのである。

最後に

参院選へ向けて、安倍政権はあらゆる手段で圧倒的な国民的支持を獲得しようとしている。WSJ紙が看破したように、「主権回復の日」の制定もそうだし、国民栄誉賞のW受賞もそう。猪瀬知事の失言を逆利用した外交アピールもそうだろう。いずれも少し裏を読めばその意図など透けて見える。

「すべてを合理的に疑ってみる」
―この姿勢を貫くと、よく騒がれている様々な事象の裏に冷徹な意図が見えてくる。WP紙の社説にしたって、報じられていない内容を把握してみると、まるで報道とは異なる洞察が得られる。そこから生じる合理的な疑問が辿り着く帰結は、信じてよいものだと思う。

人の基本的な心理として、5つ褒められることがあって1つ批判されることがあったら、そのダメージはさほど大きくない。その批判される1つのことがよほど本人にとって「重大」でないかぎり。WP紙社説の場合、5つの点で安倍政権を「評価」しており、1つので点で「惜しい」と指摘しているに過ぎないのだ。その点を誤魔化されてはならない。

本当に批判したいと思う勢力だったら、評価と批判の割合で批判を多めにするか、より重大性のある項目で批判することで、評価を帳消しにするだろう。しかしWP紙の記事には「これさえなければ」「惜しいのに」という思いが滲み出ている。つまり、WP紙は安倍氏足りない点を指摘しているだけなのだ。この推論の起点はそこにある。

むしろ安倍政権がどのくらい米国の思い描いている通りに動いているか、そこを国民は危惧すべきだろう。