GivingTreeの雑記帳 [はてな版]

seeking for my another sky─それは、この世界そのものだと気付いた

映画:ダ・ヴィンチ・コード(Da Vinci Code)─2006年

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先週末は実は仕事を挟んで3本の劇場公開映画を見ていた。そのうち純粋に「面白かった」と形容できるのが『日本沈没』と『ダ・ヴィンチ・コード』だった。

個人的に、ブームに乗るの好きじゃないので国内でのブームの沈静化を待ってから、満を持して見たという感じだった。おかげで、ブームの渦中でいろいろ自分が感じていたフィルターを取っ払って純粋に楽しむことができた。

西洋だけでなく全世界20億人のキリスト教徒の琴線を貫いたこの作品。無心論者の俺にはどう映ったか─映画は単純に面白かった。小説を読んでなくても筋が読めてしまう脚本のわかりやすさはさすがハリウッド。子どもでもわかる大人向けの映画を作ることにかけては他に並ぶものが無い(勿論、皮肉だ)。だが、

なんとくだらないことに拘り続けているのだ


と、宗教を疑問視する俺の考えはますます強まった。同時に、

ホント、一文の足しにもならねえな


と、侮蔑の気持ちまで沸いてきた。
それくらい、宗教論争というのは馬鹿げていると思えた。
まして、論争の挙句に人が殺されたり戦争まで起きるのだから、
正気の沙汰とは思えない。常軌を逸している。

結局のところ、キリストが人間として実在としていたとして、
それを神に祀り上げたとして、結局、信仰は人間が人間の脳で
考えた産物に過ぎない。神という存在が、人間の力を借りずに何かを
残したわけではない。すべて、例外なく

人間の力を媒介にしてしか神は存在し得ない。


それは、神こそが人間の創造物だから。

人間は自らの作り出したものに価値をつけたがる。
その価値を創り出すために、森羅万象までも利用する。
挙句には自分の作り出したものの価値を認めさせるため、
他を蹴落とし、勢力を増やしてその価値を守ろうとする。

実にくだらない


キリストが造られた神か、ただの稀有な人間だったか、何がそんなに重要なんだ。

信仰はなぜ、権威がなくては保たれないんだ。そこに、最大の矛盾がある。

俺はいまだに、あらゆる宗教は集団妄想だと思っている。
そこにいくら数の論理を唱えようとそも、そこで数を出すこと自体
信仰の虚構を物語っているようなものだと思える。

信じる者の数が多ければ真理?笑わせる。

映画『コンタクト』で、ジョディ・フォスター扮する宇宙飛行士候補のエリーに対し、飛行士を選抜する国際査問委員会の席上でこのような質問があった。

人類の実に90%もの人々が、なんらかの超越した存在を信じている。
貴方は本気で、この人類の90%が集団妄想にかかっていると考えるのか?

俺の答えは彼女と同じで、ずっと変わっていない。

そのとおりです。

他の同調を得て初めて成立し、多くの同調を担保とする真理など、真理ではない。
それは単なる大いなる合意(あるいは大いなる錯覚)に過ぎない。

だが一つだけ、宗教が果たせる役割がある。

いっそ、「平和」を宗教にしてみたらどうだろう。

(了)